2012-01-01から1年間の記事一覧

その他、細かいところ

「クロロゲン酸は1948年に発見され」 実際に発見されたのは1837年です。RobiquetとBoutronが報告した "Über den Kaþee von Robiquet und Boutron." Ann Pharmacie 23:93–95 (1837)が、その最初の記述だとされています。ただしクロロゲン酸(Chlorogenicsäure…

コーヒーとアレルギー

番組後半、視聴者からのメール/FAXに野田先生が回答する中で「カフェインやコーヒーでアレルギーに」というものがありましたが、この部分は野田先生の回答がよくなかったと思います…アドリブでの対応なので仕方ないとは思いますが、「コーヒーを飲んでアレル…

「コーヒーポリフェノールで美肌に」??

最初の辺で取り上げられていた話題で、これが今回の大テーマの一つだったと思います…が、この部分の科学的信憑性は高くありません。ビデオ出演されてたお茶水大の近藤先生は、確かにコーヒー関連の研究もされてるようですが、きちんとした形になっている論文…

NHK「あさイチ」10/15放送に対してツッコミ

昨日(10/15)のNHK「あさイチ」で、「女性のためのコーヒー学」と称して、コーヒー特集が組まれてました。内容としては「コーヒーと健康」に関する話題が中心でした。放送時間の関係で、生では観れなかったのですが、録画して内容をチェックしました。 まず総…

パナマコーヒーのこれから

現在のパナマ・ボケテ区のコーヒー生産は、他の生産国と比べると、今のところ、高品質高価格化に成功している例だと思われる。だがその将来に不安がないわけではない。近年、ボケテ区は観光地として開発され、たくさんのアメリカ、カナダ、ヨーロッパ人の退…

もう一つの「ジレンマ」

実は、このパナマ・ゲイシャ・ナチュラルと似た香味のものは、コスタリカやグアテマラをはじめとする他の生産地からも時折見られる。それはパナマと同様のナチュラル精製をしたものとは限らない。例えば、摘み取りの時期をぎりぎりまで遅らせて完熟…というよ…

変化する精製法

ゲイシャに沸いたパナマのコーヒーに、2010年以降また新しい動きが見られている。それは精製方式の変化である。近年パナマでは「ナチュラル(ナチュラル精製)」と呼ばれる手法で精製された生豆が、特にゲイシャで作られるようになっている。 「ナチュラル」…

ゲイシャ登場の舞台裏?

こうして、ベスト・オブ・パナマ2004で、エスメラルダ・ゲイシャの華々しいデビューに人々の注目が一気に寄せられたわけだが、真に注目すべきは2004年ではない。むしろそれ以前、2001年、パナマ初の「カップ・オブ・エクセレンス」にこそ鍵がある。ここでの…

「パナマ・スペシャルティ」の躍進

1995年の段階で、パナマはアメリカ、ドイツ、カナダへの輸出を行っていたが、その国際的な競争力は低く、生産者は悲観的な状況にあった。この状況を打破すべく、ボケテ区、ボルカン区の7つのコーヒー農家が共同して、1996年10月に設立したのがパナマ・スペシ…

「スペシャルティ」への潮流

さてここで一旦、この当時の、世界の(というよりアメリカの?)コーヒー事情を見ておこう。 1960年代の初頭に締結された、国際コーヒー協定(ICA)により、コーヒー生産国には輸出割当の上限が決められ、また協定に加盟した消費国は加盟生産国からのみ輸入す…

パナマのコーヒー生産とその歩み(3)

(スペシャルティとか精製法の全体の話が入り交じってて、多分、読みにくいと思うけど、これで無理矢理一段落ということで)

ゲイシャの導入

この頃のパナマに導入された品種で、忘れてならないのが「ゲイシャ Geisha/Gesha」である。これは1963年に、ドンパチ農園のフランシスコ・セラシン氏(=ドンパチ・シニア)*1が、コスタリカからパナマに持ち込んで栽培を始めたものだ。この当時までに、ゲイ…

IICA発足の影響

少し時代を遡って1910年、アメリカとその周辺諸国は、ヨーロッパ諸国に対する競争力を堅持することを目的に、汎アメリカ連合 (Pan American Union, PAU、後のOAS) を設立していた。そして1942年、このPAUを起点として米州農業協力機関(IICA)が発足した。II…

静かなパナマ

その後、ユーカースが"All about coffee"の初版を著した1922年になっても、パナマのコーヒー事情はこの当時とほとんど変化していなかったようだ。パナマのコーヒー産地としてはチリキ県ボケテ区の名前のみが挙げられており、「もっぱら国内消費用に生産され…

パナマコーヒーの黎明

パナマは中米諸国の中では、コーヒー栽培の開始がもっとも遅かった国である。 パナマはコスタリカとコロンビアの間に位置し、当初はコロンビアの一部であったものの、コーヒーの栽培に関してはコロンビアから受けた影響は少ないようだ。コロンビアには1730年…

パナマのコーヒー生産とその歩み(2)

(パナマコーヒーのその2。その始まりから、スペシャルティ以前の1980年頃まで) パナマコーヒー史年表 (1868年、アンリ・ヴェルテール "Essai sur l'histoire du café"にはパナマの記載はない) 1873年、セラシン家がカジェ・ホン・セコ地区(ボケテ区の西寄…

ボケテ区の歴史

パナマのコーヒーはそのほとんどが、コスタリカとの国境に近いパナマ西部、チリキ県の標高の高いエリアで生産されている。中でも、パナマ最高峰の火山、ボルカン・バル山(3474 m)の東に位置するバホ・ボケテ*1と呼ばれる峡谷地帯、ボケテ区(ボケテ村、ボケ…

まずはパナマの歴史をざっくりと

まずは参考として、パナマの歴史の流れのおさらいから。ただし歴史上話題になるのは、中部からやや東(南米大陸側)寄りで、有名な「パナマ運河」があるパナマシティが中心である。パナマコーヒーの主要産地である西部のボケテ区についてはやや事情が異なる…

パナマのコーヒー生産とその歩み(1)

(とりあえず第一章として、パナマとボケテ区の歴史だけ。コーヒー生産についての話は後半に…なのでタイトルに偽りありです ^^; ) 以前のエントリ(マルチニークからのコーヒー栽培の流れ)で、カリブ海から中米諸国にかけてのコーヒー栽培の広まりを整理し…

”GOD IN A CUP” にツッコミ

#『嶋中労の「忘憂」日誌: 『GOD IN A CUP』(カップの中に神を見た)』で紹介されている洋書"GOD IN A CUP"について、カフェバッハの中川氏からも「事実誤認のある点を指摘して欲しい」という要望を受けてたので、それに応えて。 まず、全般的には良書と言…

メモ:マルチニークからのコーヒー栽培の流れ

メモ書き程度で。 ド・クリューがマルチニーク島に伝えたティピカが、中米のコーヒーの起源になったが、その伝播については正確な記録が残っておらず、曖昧である。資料によって、伝播の年代や経過の記述には違いが多くみられる。 マルチニーク島の農業事情…

2012年

昨年は、『田口護のスペシャルティコーヒー大全』に明け暮れたような一年でした。これまで自分の手元に眠らせてた資料を、最良の形で公開する機会が頂けたことが何よりも大きな喜びでした。今年もまたいろいろ頑張ろう。