ゲイシャ登場の舞台裏?

こうして、ベスト・オブ・パナマ2004で、エスメラルダ・ゲイシャの華々しいデビューに人々の注目が一気に寄せられたわけだが、真に注目すべきは2004年ではない。むしろそれ以前、2001年、パナマ初の「カップ・オブ・エクセレンス」にこそ鍵がある。ここでの出来事が、その後のパナマのコーヒーを決定づけていたと言っても過言ではない。


2001年、パナマ初のカップ・オブ・エクセレンスは、当初SCAPのカッパーによってランキング付けされた。そのランキングされたコーヒーを、アメリカのコーヒー研究家であるケネス・デーヴィス(Kenneth Davids)が入手し、自分たちの"Coffee Reviews"のグループメンバーでカッピングし、結果の比較を"The Tea and Coffee Trade Journal"で公表した。"THE PANAMA COFFEE DILEMMA"と評されたこの短いレポートは、その全文が無料公開されている(http://www.thefreelibrary.com/THE+PANAMA+COFFEE+DILEMMA.-a072412740)。詳細な内容はリンク先を参照していただくとして、要点だけ述べると以下のようになる。

  1. パナマのカッパーによる評価とアメリカの"Coffee Reviews"の評価は、ランキングの順位から見て、必ずしも一致しない。
  2. パナマコーヒーの質の高さは認めるが、グアテマラエチオピアの良品のような、個性ある魅力に乏しい。
  3. 一部にはいわゆる「発酵臭」があるものも認められた。

デーヴィスは、このカッパーの間での評価の相違を「ジレンマ」と称した…すなわち「ソフトで甘いのか、当たり障りなく平坦なのか」「バランスが取れてるのか、退屈なのか」「繊細なのか個性が弱いのか」、アメリカのカッパーの間でもどちらに評価すべきかが分かれ、その評価の難しさを指摘したのである。


この当時、パナマのコーヒーは、生産量の少なさもあって日本ではあまりメジャーなものではなかったが、概ね品質が良く、一部の日本の自家焙煎店でも愛用されていた。確かに個性らしい個性には欠けるものの、その分、単品でも上品でバランスがとれた、「マイルドの見本」のような香味のものが多く、ブレンドのベースとしても扱いやすい、ある意味「平均的な」豆の一つだった。コーヒーそのものの「品質」として決して劣るものだったわけではない。しかしながら、アメリカのカッパーが求めたのは、むしろもっと判りやすい「個性」の方だった、ということだ。

この「品質と個性の混同」は、スペシャルティコーヒー全体が抱えている問題とも言っていいだろう。アメリカが主導したスペシャルティコーヒーの評価は、それまでのブラジルなどで主流の欠点方式での評価とは異なり、ワインの香味表現と同じように、香味の特長をできるだけ豊富な語彙や比喩で言語化して、ポジティブに評価するものである。これはコーヒーの香味評価において、歴史的に見ても非常に大きな進展だったと言える。


しかし一方で「(香味を他のものに喩えにくい)コーヒーらしいコーヒー」や「ソフトで繊細なもの」は、如何にバランスよくきれいな味にまとまっていたとしても、特長を端的に言語化しにくいためインパクトに欠け、高評価されにくく、それに対して、判りやすい長所が一つだけ抜きん出ているものは評価が高くなる……「色の白いは七難隠す」という諺があるが、まさにそんな感じだ。もちろん長所以外に、目立つ欠点がないことは必須だが、一つの「個性」が際立ちすぎると、誰しも欠点には甘くなりがちだ。「個性重視」そのものが、決して悪い評価だというわけではないが、それに偏重しすぎるのは好ましくないだろうし、その偏重を評価者本人らが自覚しづらいという問題点が潜んでいる。(……それと、あくまで私見だがアメリカでは、もともとアメリカ人がラズベリーとかブルーベリーといったベリー系のフレイバーを何にでも付けたがることと関連してるのかか、全般に「ベリー」「フルーツ」などのフレイバーが妙に高く評価されがちな気はする)。

まぁともあれ、2001年のカップ・オブ・エクセレンスパナマの段階で「質は良いが個性に欠けるパナマ」というイメージが、改めて指摘される結果になった。そして2004年のベスト・オブ・パナマで、まさに「個性の塊」とでも言うべきゲイシャが「突然」再発見されて登場し、「パナマゲイシャあり」と言わんばかりの強烈なイメージを皆に焼き付けて、パナマは「無個性」という課題を克服したと言ってもいい。


…しかしこれが、(1)カリフォルニアからの移住者(しかもバンク・オブ・アメリカ元頭取の息子)の農園で、(2)偶然見つかった古いエチオピア由来の品種で、(3)史上最高値で落札されたことがニュースになる、と、ここまでいかにもアメリカ人好みのいろんな条件ばかりが揃うと、あまりに出来すぎてるように思えるのも確かだ。まるで金太郎飴か何かみたいにどこを切っても「物語」がある。…ここまで来ると、誰か「仕掛け人」がいてそういうシナリオを書いてたとしても不思議はないと言うのが率直な感想だが、まぁ、証拠がない以上は何を言っても「陰謀論」にしかならないだろう。それに、オークション価格の方は置いておくとしても、それに先立つコンテストはブラインドテストによってランク付けされているから、この年のエスメラルダ・ゲイシャの品質が優れていたということにはケチをつける余地はないだろう。


それでもまあ、あえて付け加えるなら、この当時、(a) ブラジルやパナマなど生産地のカッパーと、アメリカのカッパーの意見や利害の食い違い、(b) アメリカのカッピング方式での、旧来のSCAAとカップオブエクセレンス方式の意見の違い、(c) グルメコーヒープロジェクト終了に伴う、各国での「カップ・オブ・エクセレンス」の主導権を巡る利害関係、(d) アメリカのいわゆる「セカンドウェイブ(スタバなどシアトルスタイルの深煎り)」から「サードウェイブ」への展開、(e) SCAA創立以後のスタバなどのように成長に伴い農園との単独契約にシフトする企業の増加、などなど、コーヒー豆のコンテストとオークションを巡って、さまざまな利害関係と思惑がうごめいていたことは確かだ。


また「スペシャルティコーヒーのオークション」と一口に言っても、(A) Qオークション*1http://coffee.stoneworks.com/auction/index.cfm?page=recent 現在停止中)、(B) ACEに移管された「カップ・オブ・エクセレンス」(http://www.cupofexcellence.org/CountryPrograms/tabid/56/Default.aspx)、(C) ACEに移管されなかった/独立したコンテスト&オークション(ベスト・オブ・パナマなど http://coffee.stoneworks.com/auction/index.cfm?page=recent )など、いくつかのタイプが存在する。生産者/生産国が自分のコーヒーをできるだけ高く評価してくれるコンテスト、高く買ってくれるオークションに出品したがるのは当然で、そこからこれらそれぞれにも利害関係が生じる。


ともあれ結果的に、パナマでのカッピングコンテストは、当初「カップ・オブ・エクセレンス」として始まったものの、他の国がどんどんACEのカップ・オブ・エクセレンスを初めても、そこには移らず、SCAAがSCAPに協力して、Stoneworksのインターネットオークションシステムを利用して競売を行う、現在の「ベスト・オブ・パナマ」の形になり、そしてそこからまた「エスメラルダ・スペシャル」というオークションが生まれて、現在に至っている。


オークションの功罪?

現在主流の、コンテスト&オークション方式が、スペシャルティコーヒー業界を活性化する上で、最も大きなファクターになったことはまぎれも無い事実だ。生産者にとって、高く買ってくれる買い手を見つけられる可能性が確かに高く、少量であっても高品質のコーヒーを作る大きなインセンティブになっている。


だが現状、それはあくまでコンテスト上位に入れたら、の話だ。コンテスト&オークション方式では、コンテストの1位か、せいぜいでも2-3位までの上位に人気が集中し、それらの値段は指数的に跳ね上がる。しかし、せっかく出品しても下位になったものは、それほどの値段にはならない。現在のように世界の標準的な(コモディティの)コーヒー取引価格が底値に近い安さならば、それでも出品する価値はあるだろうが、世界的な不作などが原因でコーヒー価格そのものが上がったら、コンテスト下位との差は小さくなる。わざわざ手間をかけてコンテストに出品して、通常よりも1-2割増し程度にしかならない、というのであれば、生産者にとっても出品する動機は減ってしまうだろうし、そういう人が増えるとコンテストそのものが成り立たなくなってしまう危険性がある。


また「オークションで高額落札されること」だけが目的になってしまうと、コーヒー生産自体が「投機的」になってしまう懸念も生じる。その時代のコーヒーの好みの「流行り」ばかりをおいかけ、農園でもそれに見合った品種に次々に植え替えを進めるなどすると、生産者にとっても一種のギャンブルになり、リスクを増やす結果につながりかねない。さらにはコンテスト上位の農園経営者がその資金で他の農園を買収して…と、生産地での貧富の差が拡大する懸念もあるだろう(おそらくパナマなどは、まだその懸念が少ない方だと思うが)。


またコーヒー豆を買う側、消費する側の立場から見ても、現在のオークションの傾向はいいことばかりとは言えない。特に近年では、コンテスト一位の金額が1ポンドあたり100ドルを超える*2ことも珍しくなくなり、一位の価格高騰は過熱する一方に見える。パナマではないが、2011年から単独開催されているグアテマラの有名農園、エルインヘルトの今年のオークション( http://auction.stoneworks.com/ei2012/final_results.php )に至っては500ドル/ポンドという、正直開いた口が塞がらぬほどの高額落札まで出ている。今(2012年7月)の円相場で、ざっくりと1ドル=80円で計算しても、生豆の原価だけで100gあたり一万円近いのだ。これに諸々の諸経費から、焙煎にかかる燃料費、その他もろもろを考えると、一体これはどれほどのお金持ちの口に入るものなのだろう、と思わずにはいられない。またそれほどの豆を一体どんな風に煎るのだろう(しかも麻袋1袋分:60kgのみしかないので、いろいろ試すにもよほどの財力か度胸が要るだろう)とか、貧乏人のやっかみ半分、あれこれと要らぬ心配もしたくなってくるものだ。


こういったオークション価格高騰の責任の一端は、我々消費者にもないとは言えない。「コンテスト一位」や「世界最高価格」というのが、ほいほいとメディアに取り上げられ、それが商売上の売り文句、いや「殺し文句」としても絶大な威力を発揮しつづけるのが現実だからだ。そういった判りやすい殺し文句が通用しつづけると、「オークション価格の世界記録を塗り替え続けること」自体が自己目的化しかねないし、もう既にそうなりつつある。本来のコーヒーそのものの品質や香味の優劣でなく、殺し文句に高い金を払い、そして「これだけ高いカネを払ったのだから『超』高品質で、ものすごく美味しいモノに違いない」というループに陥ってしまう。そしてその手の陰謀を巡らせる人たちは、商売の世界には間違いなく居るのだ。「オークションの上位については、その品質と落札額は『正比例』はしない(落札額だと、しばしば指数的に上昇する)」ことは知っておいて損が無いだろう。


このようにコンテスト&オークション方式にもいくつかの問題点があり、その一部は、この方式の基盤を揺るがしかねない問題を含んでいる。コンテストの活性化は結構なことだが、過熱しすぎると、コーヒー生産の「持続可能性」を脅かしかねない。それでも、この方式がもたらす利益には大きなものがあり、コーヒー関係者、特に生産者はそれをしたたかに利用している…「したたかに利用する」というと聞こえが悪いかもしれないが、それくらいでなければこの厳しい時勢の中、仕事としてのコーヒーを続けていけるかどうか疑わしい。「したたかさも才能のうち」といったところだろうか。

*1:SCAA認定Qグレーダーが認定した豆を、まとまった量で取引するオークション

*2:生豆の原価だけで100gあたり2000円くらいになる計算。