「パナマ・スペシャルティ」の躍進

1995年の段階で、パナマアメリカ、ドイツ、カナダへの輸出を行っていたが、その国際的な競争力は低く、生産者は悲観的な状況にあった。この状況を打破すべく、ボケテ区、ボルカン区の7つのコーヒー農家が共同して、1996年10月に設立したのがパナマスペシャルティコーヒー協会(Specialty coffee Association of Panama, SCAP) である。


パナマにおいてスペシャルティコーヒー協会が設立された理由も、ブラジルやコスタリカと同様であった。すなわち、国際的なコーヒー価格低下に対して、「高品質による差別化」を行い、高品質高価格路線を目指したものであると言える。加えて、パナマのコーヒー生産は、その黎明期から「(1907年頃の)トーマス農園では、収穫期の人手が足りず、多くの実が収穫出来ずに落果してしまっていた」という記録があったように、もともと労働力が不足しがちな傾向にあった。1990年の民主化後の経済成長や1994年のボケテの新規建築ラッシュなどによって人件費が上昇し、高品質高価格路線の必要性にいっそう拍車がかかったと考えられる。


1999年のブラジルCOEでの成功を受け、2001年にパナマでも初のカッピングコンテスト「カップ・オブ・エクセレンス」が開催された。ただしこれはグルメコーヒープロジェクトやACEを母体とするものとはいわば「別枠」の、SCAPがSCAAと共催したものであり、2003年にはコンテスト&オークションの名称は「ベスト・オブ・パナマ」に改められた*1。そして、翌2004年にはエスメラルダ農園のゲイシャが登場し、「スペシャルティコーヒー界にパナマあり」といわんばかりの存在感を見せつけた。このときの経緯については、以前も触れた( http://d.hatena.ne.jp/coffee_tambe/20100525/1274758082 )が、ここではもう少し踏み込んで解説してみよう。


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エスメラルダ農園は、スウェーデンアメリカ人移民のピーターソン一家が経営する農園である。アメリカの大銀行「バンク・オブ・アメリカ」の頭取を勤めたルドルフ・ピーターソンの一族だ。元々、1967年にルドルフが引退後の余生を過ごすためこの農園を購入したのだが、彼は1970年に国連のディレクターとなり、海外を飛び回る生活が続いた。そこで1973年に彼の息子であるプライス・ピーターソンが運営を引き継ぎ、妻子を引き連れてボケテに移住したのである*2。当初は、ボケテ区の南西にあるパルミラ地区と、おなじくボケテ区の西に位置するカニャス・ベルデス地区の土地を購入*3してコーヒー農園を営んでいたが、1996年、彼らは新たに、ボケテ区の中心からやや北東にあるハラミージョ地区にあったコーヒー農園を買い取った。このハラミージョの農園の外れに、以前のオーナーが植えていたゲイシャの老木が残っており、ここに由来するコーヒーが2004年のベスト・オブ・パナマに出品されたのである。ゲイシャの樹は、まるでジャングルのように入り組んで傾斜がきついハラミージョの農園の中でも、特に急な斜面のところに残っていたらしい。作業が容易でない場所のために、1980年以前に植えられた後、他の場所が高収穫品種に植え替えられる中を、そのまま放置されていたのだろうと言われている。その後、同様に植え替えを逃れていたゲイシャの樹が彼らの農園以外からもいくつか見つかったが、いずれもかなり傾斜のきついところに残っていたようだ。


当時(1999-2003年にかけて)世界的には、ベトナムやブラジルでのコーヒー増産の結果生じた「第二次コーヒー危機」のために、コーヒーの価格は大幅に低下しており、2004年の中米諸国の一般的な生産者価格(http://www.ico.org/new_historical.asp)は1ポンドあたり40-90セントであった。そんな中、ベストオブパナマ2004で、オークションに掛けられたもの(http://auction.stoneworks.com/includes/pa2004/final_results.html)は概ね1.25-2.5ドルと、通常の倍近い高額で落札されたことがわかる。しかし、その中でも「Jaramillo Special (ハラミージョ・スペシャル)」という名で出品されたエスメラルダ農園のゲイシャは、1ポンドあたり21ドル…他の出品品目の10倍という破格で落札され、それまでの生豆価格の記録を塗り替えたのである*4


この2004年のエスメラルダ・ゲイシャの超高額落札は、その後のパナマのコーヒー栽培に大きな影響を与えた。翌2005年のエスメラルダゲイシャも2004年と同様か、それ以上の高い評価を獲得して20.1ドルで落札された。世界のコーヒー業者がベストオブパナマに注目して、他農園のゲイシャもコンテスト上位を獲得し、8ドルを超える高額で落札された。このようにして他の農園でもゲイシャを出品し、さらに新たに栽培を始めるところが次第に増えていった。その先駆けになったエスメラルダ農園の名声は上がり、ときには100ドルを超える価格で落札されるようになった。2008年には「エスメラルダ・スペシャル」という、エスメラルダ農園独自のオークションも開催され、ベストオブパナマに出品されるもの以外のロットのオークション販売も行われ、いずれも高額で落札されている。その後のベスト・オブ・パナマでも多くの農園から、ゲイシャを中心に高品質のスペシャルティコーヒーが高額で落札され、どちらも活況を呈している。

*1カップ・オブ・エクセレンスの名称登録がACEに取得されたことによる。

*2:ルドルフ・ピーターソンにはプライスの他に一人の娘がおり、現在はその子供(プライスの甥にあたる)も運営に参加している。

*3エスメラルダ農園の現在の地図 http://haciendaesmeralda.com/our-coffee/location-of-our-farms を参照。農園の本拠地があるのがパルミラで、カニャスベルデスでは現在「ダイアモンドマウンテン」というブランド名のものの一部として扱っているようだ

*4:とは言え、例えば2002年の時点でブラジルやグアテマラニカラグアカップ・オブ・エクセレンスで既に、コンテスト1位には10ドル代前半の高値が付いてはいた。ただし他国の2004年のACEのカップ・オブ・エクセレンスでは最高11-14ドル程度で落札された国が多く、エスメラルダゲイシャだけが20ドルの大台を超えた。他国の1.5-2倍くらいの価格で、突出していたと言える。なお、この記録は翌2005年にはもう、ブラジルCOEでの49.75ドルという2倍以上の価格で更新されたが、これはあまりニュースにはならなかった。