2013-08-01から1ヶ月間の記事一覧

怪しげな仮説

上記を踏まえて、今回も怪しげな仮説を立ててみよう。 ユーカースは"All about coffee"において、ザブハーニーがコーヒーを是認したのを「1454年頃」と推定した。これは単に「中世と近世の境目」として書いたものにすぎなかったのだが、偶然にも、かなり近い…

ラスール朝後継者たちとザブハーニーの接点?

アブドゥル=カーディルの著述には、ザブハーニーが「ムフティー」と呼ばれる、イスラム法学者の中でも特に学識があり、公的に認められた立場であったことが記されている。以前推定したように、ザブハーニーの没年が1470年であり、そこから1400年前後の生ま…

ラスール朝とマッカをつなぐ「1454」

1454年に、アデンを去ったマスウードはハルカーの長老に保護され、その後、ザビードに入って再起を誓い、再びタイッズに攻め入ろうとしたものの、その途中のヘイズに着いたところで考え直し、そのままマッカに向かった。そしてマムルークのスルタンに庇護さ…

ラスール朝後継者と「1454」

ところで15世紀のイエメン史に注目すると、この「1454年」には、特別の大きな意味が付与されてくる。「1454年」とはまさに、ラスール朝が滅亡してターヒル朝が勃興した年に他ならないからだ。その王権のバトンタッチが行われた場所も、「ザブハーニーが初め…

文献上の「1454」

上述のようにド・サッシー『アラブ文選』の「訳文中には」「1454年」を示す記述はない。ところが実はよくよく読んでいくと、この「1454年」という年代が書かれた部分を一箇所だけ見いだすことができる。それは脚注(1)として、ド・サッシーが解説した部分であ…

転機としての「1454」

この「1454年」という年は、おそらく西洋史をかじったことのある人にはおなじみのはずだ -- 1453年、オスマン帝国がコンスタンティノープルを包囲し東ローマ帝国が滅亡した。伝統的なヨーロッパ史においてはこれが「中世」と「近世」の境目とされ、1454年以…

はじまりの物語 (15)

#ゲマルディンことジャマールッディーン・アブー・アブドゥッラー・ムハンマド・イブン・サイード・アッ=ザブハーニーの謎に迫る その4。 #今回のキーワードは「1454」 1454[L]―Sheik Gemaleddin, mufti of Aden, having discovered the virtues of the be…