”GOD IN A CUP” にツッコミ

#『嶋中労の「忘憂」日誌: 『GOD IN A CUP』(カップの中に神を見た)』で紹介されている洋書"GOD IN A CUP"について、カフェバッハの中川氏からも「事実誤認のある点を指摘して欲しい」という要望を受けてたので、それに応えて。


まず、全般的には良書と言ってよいと思います。全体的に、いわゆるアメリカの"Third Wave"の立ち位置からの視点なので、その立ち位置ゆえの偏りはあるようですが(COE寄りで、ICOなどの従来の枠組みやSCAAには批判的な部分が見られる/アメリカ以外の視点に欠ける)、それはまぁ、本を書く以上は仕方のないことですし、予め、そういうスタンスだと理解して読めば、"Third Wave"のコーヒー人の考え方を知るための良い資料だと言えそうです。


その一方で、科学的に見て、鵜呑みにされるとまずい間違いが書かれた部分もあります。

  • (p.56-57) コーヒーの味覚について、いわゆる基本五味(Sweet/Sour/Salty/Bitter/Savory)に分けて書かれていますが、ここがかなりデタラメで、どこからツッコンでいいか悩むくらい(校正でどうにかなるというレベルでなく、全削除して書き直しが必要なレベル)です。
    • 指摘しやすいところで言うと、苦味(Bitter)はカフェインでなくトリゴネリンが重要というのは、もう20年以上前には否定されてる説です(トリゴネリンは焙煎で大部分が分解されます。苦味成分として重要なのは、むしろクロロゲン酸焙焦産物だというのが近年の見解です)。
    • この他、酸味、甘味、塩味…いずれもこれは、Sivetzらが1970-80年代に提唱した、古い考えがほぼそのまま使われており、現在では時代遅れだしバランスが取れてない…せめて coffeeresearch.org の内容くらいにはしてほしかったところです(とはいえ、coffeereseachの内容でも古いのだけど)。旨味(Savory)についても付け足しっぽく、味覚についての著者の見識の拙さが透けて見えてしまってます。
    • p.58の"Enzymatic/Sugar browning/Dry distillation"も同じような感じで、内容としては古い知見に立脚してますが、こちらはSCAAのフレイバーホイールにも踏襲されてるので致し方ない部分もあるかもしれません。

後はまぁ比較的小さい部分だと思います(タイポの見落としは他にもあるかもしれません)

  • (p.147) エチオピアに"Gesha/Gecha"という地名が複数あることを、「ゲイシャ」の由来が複数あることの理由のように説明していますが、これは必ずしも正しくありません。
    • そもそもエチオピアのコーヒー野生/半野生種は「同じ村に生えていたら同じ性質」と言えるようなものではなく、同じ村から採取したサンプルであっても性質が異なるのは珍しくありません。ゲイシャの場合、エチオピアで採取されたサンプルは当初ケニアの試験場に持ち込まれましたが、その時点で"Geisha-1, 9, 10, 11, 12"など複数の株が存在していました。このすべてが「同じGesha村」から採取されたものだったとしても、その性質が同じとは限りませんし、性質が異なっても元々不思議はないのです(ただし、これゆえに、本書で述べられている「二つのゲイシャの仮説」が正しい可能性は高まります)。
  • (p.149) ケニアの品種として上げられている "RuiRui11" は "Ruiru11" の誤記です。
  • (p.176-177) 焙煎の過程について、細かな点で首を傾げたくなる記述が散見されます。ここらへんは著者自身に焙煎経験がないか、あるいは少ないからかもしれません(まぁそこまで要求するのは厳しいかなとも思う)
    • 「一ハゼのときにチャフが剥がれる」という記載がありますが、どの方式の焙煎であっても、チャフが剥がれるタイミングはむしろ一ハゼより前が多いはずです。
    • "so you have to step the temperature down","If the temperature drops precipitously"などの表現が見られますが、実際に焙煎中(しかも二ハゼ)で、「(豆の)温度が低下」することはまず起こりません(そもそも豆そのものの温度は、通常の焙煎ではモニターできませんし)。むしろ二ハゼ以降は、豆の内部で進行する焙焦反応の多くが発熱反応であるため、温度上昇が早くなります。プロバットなどのドラム式焙煎機を使っての話なので、ここで実際に「落として」いるのは「温度」ではなくて、「いわゆる火力」(排気量 and/or ガス火ならガス圧)だと思われます。そうであれば、ここで述べられているのは(直火式などでは特に)スタンダードな手法の一つだと言えるかもしれません。

この"GOD IN A CUP"というタイトル、スペシャルティコーヒーの持つ魅力に対して「カップの中の神」と表現しているわけですが、その背景として、Allen Stewartの著書 "Devil's cup"を意識して付けられた部分もあるでしょう…二重の意味を持たせたものになっています。

コーヒーの歴史は植民地支配や奴隷労働という「暗黒の歴史」(Antony Wildの著書 "A Dark History"のように)と切り離すことができないし、また近年でも生産者からの搾取が問題となっています。それらAllenが"Devil"と呼んだのに対して、この本の著者であるMichaele Weissmanは、コーヒー人がカップの中にみた"God"をタイトルに掲げました。それはまた"Devil"を退けて、生産者と消費者のどちらも…コーヒーに関わる人すべてが満足できる未来をもたらすものに期待を込めての"God"なのかもしれません。

God in a Cup: The Obsessive Quest for the Perfect Coffee

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