パナマのコーヒー生産とその歩み(1)

(とりあえず第一章として、パナマとボケテ区の歴史だけ。コーヒー生産についての話は後半に…なのでタイトルに偽りありです ^^; )


以前のエントリ(マルチニークからのコーヒー栽培の流れ)で、カリブ海から中米諸国にかけてのコーヒー栽培の広まりを整理したが、一カ所だけ触れなかった国がある。それがパナマだ。


コーヒー栽培がさかんな中南米において、パナマのコーヒー生産量はごくわずかな割合にすぎない。また、栽培の歴史も他の国々と比べて浅く、その存在感は微々たるものに過ぎなかった。その状況が一変したのは、2004年のことだ。この年、パナマで行われたカッピングコンテスト「ベスト・オブ・パナマ」で、エスメラルダ農園(アシエンダ・ラ・エスメラルダ)から「ゲイシャ」という、耳慣れない……というより、日本人なら真っ先に別の「芸者」を思い浮かべるであろう……名前の品種のコーヒーが出品された。それは何十年も前に、農園の前のオーナーが畑の片隅に植えたまま、すっかり忘れ去られていた老木から収穫された豆であった。しかしコンテストに出品されるや、オレンジやレモン、あるいはアールグレイ紅茶を思わせるその独特な香りが高く評価されて、その年の一位を獲得し、続けて行われたオークションで過去の世界最高価格を塗り替える高値で落札された。この話がさらにコーヒー関係者の評判を呼び、パナマゲイシャは一躍「スペシャルティコーヒー界のスターダム」に上り詰めたのである。


…まるでシンデレラストーリーだ。しかし、本当にそんな「おとぎ話」のような、ただの幸運なお話だったのだろうか? その辺りをもう少し掘り下げてみよう。