2013-06-01から1ヶ月間の記事一覧
以上のような当時のアデンの社会背景を踏まえて、今回も「怪しげな仮説」を唱えてみよう。 アッ=ナースィル・アフマドがアデンに圧力をかけたのが1420-24年頃……ザブハーニーが1400年前後の生まれだとしたら20-24歳、まさに「ザブハーニーの若い頃」の出来事…
ここでラスール朝とアデンの歴史を思い出そう。 15世紀初頭、ラスール朝は8代スルタン、アッ=ナースィル・アフマド(1400-24年在位)の治世であった。彼は1420年頃からアデンからの収益を増やそうとして、結果的に失政を重ね、アデンを衰退させた(http://d…
もう少し別の角度からも考えてみよう。そもそも彼は、なんで「アジャムの地」に行ったのだろうか。 イブン・アブドゥル=ガッファールが聞いたところによれば、彼は「何らかの理由でアデンを去り、『アジャムの地』に赴き、しばらくそこに滞在しなければなら…
ユーカース『オールアバウトコーヒー』をはじめ、多くのコーヒー本では、彼は「エチオピア(またはアビシニア)に行った」と書かれている。しかしアブドゥル=カーディルの『コーヒーの合法性の擁護』には、厳密には「エチオピア(アビシニア)に行った」と…
ザブハーンの村で生まれた「サイードの息子、ムハンマド」はやがて故郷を離れ、アデンに暮らすようになる。 彼がアデンに至ったまでの足跡はよく判らない。イブン・アブドゥル=ガッファールとサハーウィーの記録にも一致しない部分が見られる。しかし彼が後…
#ゲマルディンことジャマールッディーン・アブー・アブドゥッラー・ムハンマド・イブン・サイード・アッ=ザブハーニーの謎に迫る、その2 前回からの続き。いろいろと仮説をこねくり回すので、考えがあっち行ったりこっち行ったりします。 まずおさらいを…
さて、この「ザブハーニー」とはいかなる人物だったのだろう? 実は、彼に関する記録は「絶望的に」少なく*1、上述したアブドゥル=カーディルの著書がもっとも詳しい。 『コーヒーとコーヒーハウス』を著したラルフ・ハトックスによれば、サハーウィーが編…
さて、この「ゲマルディン」……というのは英語風にアレンジされた呼び方で、その名前をアラビア語の発音に準じてカナで書くと「ジャマールッディーン・アブー・アブドゥッラー・ムハンマド・イブン・サイード・アッ=ザブハーニー」ということになるようなの…
#ゲマルディンことジャマールッディーン・アブー・アブドゥッラー・ムハンマド・イブン・サイード・アッ=ザブハーニー(←長い)の謎に迫る、その1 さて、再び「三大伝説」の話に戻ろう。 「コーヒー発見」仮説と伝説(2) 三大伝説 http://www.tsujicho.com…
無政府状態となったザビードで、飲酒など明らかな破戒行為に手を染める者が増えていく中、さすがに酒を飲むことはためらわれても、当時まだ違法とははっきり決まっていなかったカートやコーヒーなどに手を伸ばした者は、そこそこの数がいただろう。イエメン…
ザビードが無政府状態になったことは、同時に以下の三つのことをもたらしたと考えられる: (1)飲酒や賭け事など破戒的行為の横行、(2)ザビードから逃げ出す貧窮民の発生、(3)スーフィズムの台頭 である。 この当時の社会秩序を形成する上でイスラームの教義…
1442年、ラスール朝最後のスルタンが亡くなったことで、その後継者争いが始まった。これがザビードに与えた影響は甚大だったと言える。この年、タイッズで真っ先に後継者の名乗りを上げた王位請求者ムザッファルに対して、アビードたちの一部は王位請求者ア…
カートや、コーヒーの実や種、葉などを嗜好品として利用する風習は、遅くとも15世紀初頭までにはエチオピアからイエメンへ本格的に伝来した。この利用を初期に牽引したのは恐らくザビードに暮らすアビード(エチオピア起源のザビードの奴隷階級)たちだろう…
実際のところ、イエメンのどこでカフワやコーヒーの利用が始まったのかはわからないのが現状だ。ザブハーニーによるアデンでの公認と飲用の記録が、文献上に現れる最初のものであるが、この文献は同時に彼以前からの利用者がいたことも示唆している。一方、…
おそらく15世紀の初め頃には、イエメンでコーヒーの実や種子の嗜好品的な利用と、初期のカフワ(カートやコーヒーの葉から作られる)の飲用が始まっていたと考えられる。そしてそれは15世紀半ばにかけて広まり、アデンのムフティーであったジャマールッディ…