2013-06-22から1日間の記事一覧

怪しげな仮説

以上のような当時のアデンの社会背景を踏まえて、今回も「怪しげな仮説」を唱えてみよう。 アッ=ナースィル・アフマドがアデンに圧力をかけたのが1420-24年頃……ザブハーニーが1400年前後の生まれだとしたら20-24歳、まさに「ザブハーニーの若い頃」の出来事…

アデン暗黒時代

ここでラスール朝とアデンの歴史を思い出そう。 15世紀初頭、ラスール朝は8代スルタン、アッ=ナースィル・アフマド(1400-24年在位)の治世であった。彼は1420年頃からアデンからの収益を増やそうとして、結果的に失政を重ね、アデンを衰退させた(http://d…

ザブハーニー、アジャムへ行く

もう少し別の角度からも考えてみよう。そもそも彼は、なんで「アジャムの地」に行ったのだろうか。 イブン・アブドゥル=ガッファールが聞いたところによれば、彼は「何らかの理由でアデンを去り、『アジャムの地』に赴き、しばらくそこに滞在しなければなら…

謎の地「アジャム」

ユーカース『オールアバウトコーヒー』をはじめ、多くのコーヒー本では、彼は「エチオピア(またはアビシニア)に行った」と書かれている。しかしアブドゥル=カーディルの『コーヒーの合法性の擁護』には、厳密には「エチオピア(アビシニア)に行った」と…

青年はアデンを目指す

ザブハーンの村で生まれた「サイードの息子、ムハンマド」はやがて故郷を離れ、アデンに暮らすようになる。 彼がアデンに至ったまでの足跡はよく判らない。イブン・アブドゥル=ガッファールとサハーウィーの記録にも一致しない部分が見られる。しかし彼が後…

はじまりの物語 (13)

#ゲマルディンことジャマールッディーン・アブー・アブドゥッラー・ムハンマド・イブン・サイード・アッ=ザブハーニーの謎に迫る、その2 前回からの続き。いろいろと仮説をこねくり回すので、考えがあっち行ったりこっち行ったりします。 まずおさらいを…