2013-05-29から1日間の記事一覧

おさびしウサブ山のコーヒー

ラテン語版"Gihan numa"によれば、この「ウサブの地」は当地で暮らす人々の耕地の一部ではあったが、コーヒー以外に食べられるものがない場所だった、とされている。他の作物がない「さびしい土地」だった最大の理由は、その標高によるものだろう。コーヒー…

シャイフ・ウマルの足跡

話をシャイフ・ウマルに戻そう。彼の行動は「ダルヴィーシュ」そのものであると言えるだろう。 彼は(フマイザラの)「アッ=シャーズィリーの奇跡の水」を携えて、モカの地に船でやってきた(=放浪の末に来訪)。 彼はモカの町の外に小屋を建てて暮らし(…

民衆へのスーフィズムの普及

ひとまず神秘的な部分の話は置いておくとして、シャイフ・ウマルの伝説から確実に読み取れることがある。それは13世紀以降のエジプトで信奉者を増やしたシャーズィリーヤ教団が、イエメン沿岸部(ティハーマ地方)にも進出していたということだ。 この当時の…

二つの伝説の比較

このシャーズィリーヤ教団に伝わる言い伝えと、シャイフ・ウマルのコーヒー発見伝説の前半部分には、非常に類似した点が見られる。 それは、(1) 死に瀕したアッ=シャーズィリーは、清浄で甘い水を湧き出させた、 (2) さらに彼の死後、弟子のもとにベールで…

シャーズィリー異聞

さて、シャーズィリーヤ教団の流れを組むスーフィー教団には、今でもアッ=シャーズィリーを聖者の一人として崇め、その言行録を「教え」の一つとして伝えているところがある。それを見ると、アッ=シャーズィリーが亡くなるときのエピソードとして、興味深…

スーフィズムとシャーズィリーヤ教団

さて『世界の鏡』に書かれたシャイフ・ウマルの伝説であるが、そもそもこのウマルなる人物が実在したかどうか、これが結構怪しい。まず彼の名前は「ウマル/オマール Omar」としか伝わっておらず、父の名前や出身も不明である。 一方、彼の師として名前が出…

ユーカースとの比較

シャイフ・ウマルのコーヒー発見伝説を広く認知したのは、何と言ってもユーカース『オールアバウトコーヒー』であろう。しかし、そこで紹介されている内容には、上記のものと比べていくつかの相違が見られる。 William H Ukers: "All About Coffee": EARLY H…

シャイフ・ウマルの伝説

ド・サッシーの脚注と、ラテン語版 Gihan numa に書かれた内容から読み取れる、シャイフ・ウマルの伝説は以下のような内容だ。 ヒジュラ暦656年(西暦1257/8年)、(アレクサンドリアの)シャイフ・アブル=ハサン・アッ=シャーズィリーが、スアキン経由で…

はじまりの物語 (10)

#少し回り道して、「シェーク・オマール」ことシャイフ・ウマルのコーヒー発見伝説について検証。 「コーヒーの起源」は、はっきりした証拠が残っておらず、いくつもの仮説が存在している。中にはかなり怪しげな、古代ギリシャや聖書に起源を求めるようなも…