シャーズィリー異聞

さて、シャーズィリーヤ教団の流れを組むスーフィー教団には、今でもアッ=シャーズィリーを聖者の一人として崇め、その言行録を「教え」の一つとして伝えているところがある。それを見ると、アッ=シャーズィリーが亡くなるときのエピソードとして、興味深い内容が書かれている。

エジプトに移住した後、アッ=シャーズィリーは毎年、マッカに巡礼することを欠かさなかった。彼の信奉者らを連れてエジプトからナイル川を遡り、そこから砂漠を通って紅海沿岸に抜けて、スアキンからジェッダへと船で渡り、そこからラクダで2日かけてマッカに行くのが、彼のいつもの決まったルートだった。


ある年、巡礼に行こうとするアッ=シャーズィリーに、ダマンフールに住む一人の少年が一緒に連れて行ってくれるように願った。彼の母親(寡婦だった)もそうしてくれるように願った。アッ=シャーズィリーは「フマイザラ(紅海沿岸に近い場所で、水場があった)までは保証しよう」と彼らに告げ、同行させることにした。


巡礼に向かうとき、彼は弟子達に向かって次のような話をしていた。

「エジプトに住むと決めたとき、私はアッラーに『私は異教徒の地に葬られ、私の肉は彼らの肉と混じってしまうのでしょうか』と聞いた。アッラーは答えられた。『いや、お前はアッラーが決して疎かにされない地に葬られるだろう』」

「また私がかつて病気になったとき『どこであなたに会えるでしょうか』と尋ねた。アッラーは答えられた。『フマイザラで会うだろう』と」

「私は、自分が死んで山の麓に埋められるのを見た。そこには井戸があり、塩を含んだ水が少しあるだけだったが、甘く沢山の水が湧き出るようになっていた」

「今年はもう私はマッカに行けないので、皆に代行巡礼をお願いしなければならない」


巡礼の一行がナイルを遡上して砂漠に入ったところで、少年とアッ=シャーズィリーは病に罹った。間もなく少年が亡くなったため、アッ=シャーズィリーの弟子達がその場に埋葬しようとした。しかしアッ=シャーズィリーはそこからフマイザラまで運ぶように弟子達に指示した。

そして一行はフマイザラに辿り着き、井戸の水で少年の体を浄めて埋葬した。その夜、アッ=シャーズィリーの病状は悪化したため、彼は弟子達を集めてこう告げた。「私がいつも唱えていた『海の連祷』をいつも唱えなさい。そして、貴方達の子ども達にも教えなさい。最も偉大な神の名がそこには含まれています」

そして弟子の一人、アブル=アッサーブ・アル=ムルシに呼びかけて、彼を後継者として自分の弟子達を託し、また他の弟子達にはアル=ムルシに従うように告げた。


彼はさらに、フマイザラの井戸の水を壷に汲んで持ってくるように弟子の一人に命じた。だが弟子は「ここの井戸の水はしょっぱくて苦いです。お飲みになるなら、私たちが持ってきた水の方が甘くて美味しいです」と答えた。「そういうことではない」と彼は言い、井戸の水を汲んでこさせると一口飲み、その水で口を漱いで壷に吐き出して「この水を井戸に入れなさい」と命じた。弟子が言われるままにそうすると、井戸から新鮮で甘い水がこんこんと湧き出した。そしてその夜、夜通し神の名を唱え続け、そのまま動かなくなった -- すべて彼の預言していた通りになったのである。


アッ=シャーズィリーは死ぬ前、アル=ムルシに次のように命じていた。「私が死んだら、ベールで顔を覆った人が馬に乗って現れる。その男に私の遺体を渡してから、遺体を洗って埋葬しなさい。その男は小道の急な坂を上って立ち去るが、お前は追いかけていくべきではない」と。

果たしてアッ=シャーズィリーが亡くなると、言った通りの男が現れ、アル=ムルシはその男に従って師を埋葬した。しかし彼は、その男の後を追って丘の上まで上っていき、その顔は覗き見た…それはアッ=シャーズィリーその人の顔だった。驚き畏れるアル=ムルシの前から、彼の姿は突然消えてしまい、そこでアル=ムルシはアッラーが師の姿を借りて自分の前に現れたことを悟ったのだった。

アル=ムルシは巡礼の後でエジプトに戻り、シャーズィリーヤ教団の後継者として、アッ=シャーズィリーの信奉者たちを導き、さらにその弟子達を増やしていったのである。その後、フマイザラにはアッ=シャーズィリーの墓を祀る廟が作られた。彼の井戸はいつも清浄な水をたたえつづけたというう。現在も、砂漠の中にあるその廟を訪れる人は少なくない。