ユーカースとの比較

シャイフ・ウマルのコーヒー発見伝説を広く認知したのは、何と言ってもユーカース『オールアバウトコーヒー』であろう。しかし、そこで紹介されている内容には、上記のものと比べていくつかの相違が見られる。

まずユーカースは「シェーク・オマール」の伝説を、アブドゥル=カーディルの文献にあるものとして紹介している。だがこれはド・サッシーが付記した脚注中の記述であり、さらにその原典はアブドゥル=カーディルではなく、キャーティプ・チェレビーの『世界の鏡』であることは既に述べた。

また彼は、ウマルの師アッ=シャーズィリーが死んだ場所を"Emerald mountain (Ousab)"とし、エメラルド山と、オマールが追放された山を同じウサブ"Ousab"としている。だがこのような記載は原典には見られないし、後の話も微妙に合わなくなる。地名を混同しているようだ。

そしてユーカース版には、ウサブ山に追放されたウマルが不遇を嘆いたところ、一羽の鳥が現れてコーヒーの実を見つけるのを手助けしたという話があるが、このような記述はどこにも見られない。おそらくこれも、他の伝承と混同しているのだと思われる。


誤解しないでほしいのだが、こうした間違いを指摘することでユーカースの偉業を貶めようという気は全くない。今と違って文献一つ入手するのも困難であった時代にあれだけのものを書き上げたことに対する敬意こそあれ、ケチを付けるつもりはない。ただ、アブドゥル=カーディル『コーヒーの合法性の擁護』は、現実にあった談話や文献の調査を徹底して、きちんとした根拠があるものだけを扱い、このような俗説や伝説の類いは基本的に排除されている。アブドゥル=カーディルのそうした姿勢にも敬意を払い、彼の名誉のために「アブドゥル=カーディルは、シャイフ・ウマルのコーヒー発見説を取り上げなかった」ことを述べておきたい。