ブラジルの「スマトラ」

紛らわしい話なのだが、コーヒーの品種を語るときに、上に挙げたスマトラ島の品種を「スマトラ」と呼ぶのは間違いのもとだ。「スマトラ」と、上記の「クラシック・スマトラ」は、厳密には異なる…というより、「スマトラ」はスマトラ島で栽培されている品種ではない。単に「スマトラ」と言った場合、それはブラジルの一品種を指す。


ブラジルの「スマトラ」は、ブラジルでのコーヒー栽培が行われるようになった後で、新たにスマトラ島からブラジルに移入されたものに由来する品種だと考えられている。クラシックスマトラ、特にバーゲンダルと近縁関係があると考えられている品種なのだが、いつごろ、どのような経緯で導入されたかについてはよく判らない。ただし、少なくとも1930年代までにはブラジルで普及していたことは明らかだ。


すでに何度か述べたが、コーヒーノキは、オランダ本国を経由して南米のスリナムに、あるいはオランダからパリを経由してハイチやマルチニーク島に伝えられた。これらのコーヒーノキインドネシアのものは、同じティピカではあったが、オランダの植物園もしくは中南米の地で栽培される間に、若干その性質に違いが現れ、「昔ながらのジャワコーヒー」とはやや趣の異なるものになっていたようである。

ブラジルでの本格的なコーヒー研究が始まった頃、カンピナス農業試験所が1933年に、当時ブラジルで栽培されていた品種の特徴についてまとめているが、このときにはティピカに由来する品種として、「ナショナル」「マラゴジッペ」「スマトラ」の3種類の名前が挙げられている。このうち、マラゴジッペは大型化した変異種であり、ナショナルがより古くから栽培されていた品種、スマトラはその後でインドネシアから持ち込まれたものだと認識されていたようだ。


カンピナス農業試験所では、さらにこれらの品種の生産性についての比較検討も行っている。これらのティピカ系の品種はすべてブルボンよりも収量では劣っていたものの、スマトラの生産性はブルボンよりわずかに低い程度であり、ティピカ系ではもっとも有望視された*1。このため、ブラジルで古くから栽培されていた「ナショナル」の豆は徐々に栽培されなくなり、ブルボンやスマトラに置き換えられていったのである。さらに、スマトラとブルボンとの交配によって作成されたムンドノーボや、さらにムンドノーボとカトゥーラの交配で生まれたカトゥアイなどにも、「スマトラの血」が受け継がれていると言えるだろう。


ハワイコナとの関連

またもう一つ、このブラジルのスマトラとの類似性が指摘されている品種がある。ハワイの「コナ」Kona(コナ・ティピカ、Kona typica)だ。

コーヒーノキが初めてハワイに持ち込まれたのは1813年、ハワイのオアフ島ドン・フランシスコ・デ・パウラ・イ・マリンが観賞用に持ち込んだのが最初だと言われている。ただし、このコーヒーノキの子孫は残っていない。


1825年にイギリスの造園技師、ジョン・ウィルキンソンがブラジルのリオデジャネイロから30本のコーヒーノキを移入して本格的な栽培を目指したが、1827年、志半ばにしてウィルキンソンは病死してしまう。彼のコーヒーノキはその後、数年に亘って実を付けたが、やがて彼の後を追うかのように枯れてしまった……その種子が彼の遺志と共にハワイの各地に広まったのを見届けるようにして。

現在名高いコナコーヒーの栽培も、このときに始まったものである。ウィルキンソンのコーヒーの子孫を、サムエル・ラグルス牧師が1828年1829年に植えたものが最初である。すなわち、最初の「コナコーヒー」はブラジルで栽培されていたものの子孫であり、現地では"kanaka koppe"(Hawaiian coffee)と呼ばれた。


ただし、現在の「コナ」はこれとは起源を異にする。1892年にヘルマン・ワイドマンが新たに、「グアテマラン」と呼ばれる品種をグアテマラから移入した。それまでのブラジル起源のコーヒーノキとの比較実験を行った結果、この新しい品種の方がより優れているという評価が得られた。コナのコーヒー農園では順次この新しい品種へと切り替えていった。これはやがて"Melikan koppe"(American coffee)と呼ばれるようになり、「コナ」「コナ・ティピカ」はこのグアテマラ由来の品種を意味するものになっている。


この「コナ」の元となった「グアテマラン」という品種の起源については、はっきりしたことはよく判らないというのが正直なところだ。しかし、その植物学的な特徴からは、マルチニーク島由来のティピカよりも、ブラジルの「スマトラ」との類似点が多いと考えられている。このことから恐らく、19世紀中にはすでにスマトラ島コーヒーノキが直接ブラジルに持ち込まれており、さらにこれが1892年までにはグアテマラに広まっていたのだろう。そして、それがハワイに伝わり、現在のコナの元になったのだと考えられる。

*1:マラゴジッペは収量は少ないが、大粒の豆が取れることで有用な品種だと考えられた。