エチオピアからイエメンへ:遺伝子解析による系統解析

エチオピアは、グレート・リフト・バレーアフリカ大地溝帯)の入り口に当たる。北東にある紅海の側から南西の高地に向かって、グレート・リフト・バレーが国土のど真ん中を分断するような形になっている。コーヒーノキはリフトバレーの西側と東側の、両側の高地に見られる。西側には人為的に栽培されているものと、元から自生していたと思われるものが共存しているが、東側はそのほとんど*1が人為的に栽培されたもので、野生のものは見られない。


リフトバレーの東西に見られるコーヒーノキのタイプには、形態や性質の上での違いがある。また東側のグループは、さらにハラール(ハラルゲ、ハラー、ハラーリ)のものと、シダモのものとに区別される。以前、紹介したエチオピア野生種/半野生種群(http://d.hatena.ne.jp/coffee_tambe/20100525)は、その分布するエリアによって、以下のグループに大まかに分けることができる。


エチオピアのコーヒーマップ:話題に関係する地名のみ示した)

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  1. リフトバレー西側/西部('Western')グループ
    • リフトバレー西側で、南はエチオピア南西部から北はタナ湖周辺までの広いエリアに分布する*2。旧行政区としてはカッファ州、イルバボール州、ウォレガ州、ゴジャム州など。この地域から収集されたものとしては、S2-エナリア、S3-ジンマ、S12-カッファ、アンフィロ、S4-アガロ、S13-ゼジーゲイシャなどが代表。
  2. リフトバレー東側('Eastern')グループ
    • リフトバレー東側に見られるもの。
    • 南部('Southern')グループ
      • リフトバレー東側のグループのうち、エチオピア南部のシダモ州、アルシ州、バレ州など。S17-イルガレム、S8-タフェリケラ、S14-ロウロ、ディラ、シダモなどが代表。
    • 南東部('South-Eastern')グループ
      • リフトバレー東側のグループのうち、エチオピア南東部のハラルゲ州のもの。S10-ハラールが代表。

この3つのグループがそれぞれどのような流れで分岐していったのか、また、このうちのどこからイエメンに持ち込まれたのか。それを明らかにするため、複数の研究者が植物学的・分子生物学的な研究を行ってきた。


現在最新の、そして最も詳細に解析を行っているのは、Silvestriniらによる2007年の論文*3である。彼らは、マイクロサテライト法*4を用いて、エチオピア南イエメンで採取されたサンプルとブラジルの商業栽培品種、さらにアラビカ以外のCoffea属植物をいくつか加えた、合計115種類で遺伝子系統解析を行った。その結果をまとめると以下のようになる。

  • アラビカ種は、(A)エチオピアの野生種/半野生種グループ、(B)イエメン栽培種およびブラジルの商業栽培種グループ、の二つに大きく分離した。
  • (A)は(B)に比べて遺伝的に多様*5であり、さらに(A-1)カッファなどの西側グループ、(A-2)シダモなどの東側(南部)グループ、に分かれる。ハラーなどの南東部グループについても解析しているが、利用できるサンプルが2つしかなかったため、信頼性のある結果は得られていない*6
  • (B)は遺伝的多様性が小さく、(B-1)イエメン栽培種のグループ、(B-2)ブラジルの商業栽培品種のグループ、の二つに分離した。
  • (A-2)の東側グループに西側のゴジャムで採取されたサンプルの一つが、(B-1)のイエメングループにシダモで採取されたサンプルの一つが入っている。

これらの実験結果と過去の論文を踏まえた上で、彼らは以下のような「一本の道」を提唱している。

  1. アラビカ種の起源は、エチオピア南西部(カッファなど)の高地である。
  2. そこから南部(シダモ)と南東部(ハラー)に(自然に/人の手で/その両方で)広まった。
  3. さらに、その南部や南東部からアラブ人の手で、イエメンにもたらされた。
  • ただし南部や南東部に、南西部とは別タイプの野生のコーヒーノキが元々あったという可能性も否定はできない*7

スパレッタ(1917)やシルヴェイン(1955)の頃から、ハラーのコーヒーノキと、イエメンのフデイダに見られるコーヒーノキには類似性が指摘されており、この仮説は概ね多くの研究者に受け入れられるものだろう。アントニー・ワイルド『コーヒーの真実』( http://www.amazon.co.jp/dp/4826990413 ) などに至っては、Silvestriniの論文以前*8に書かれたものにも関わらず、かなり断定的に「近年の研究から、ハラールからイエメンに渡ったことはあきらかだ」とすら書いている*9


少なくともハラーと断定はできなくても、南西部から直接でなく、一旦、リフトバレー東側のシダモかハラーに広まったものがイエメンに伝えられたのだろう、という点については、妥当な解釈だろうと思う。だけど、ハラーと断定されてしまうと、「本当にハラーと言い切っちゃっていいの?」という疑問を強く感じる。


確かに「フデイダに残ってる一部のコーヒー」と比べたら、似てるかもしれない。しかし、「イエメン全般に見られるコーヒー」と比べるとハラーに見られる「ロングベリー」の特徴よりも、むしろシダモなどに見られる小粒なものの方が形状的にも似ているし、Silvestriniのクラスター解析でも、もしハラーとイエメンが近縁だったならば、ハラーが(B-1)イエメングループに入ってる方が、解釈としてはすっきりする。

個人的には、むしろイエメンのコーヒーは元々はシダモあたりから伝えられたもので、ハラーは、後に栽培が盛んになった頃に南西部を含めた広い地域との間で豆のやりとりが盛んになって、いろんなタイプがごっちゃになってしまったのではないかと思っている*10。この辺りは、将来の研究成果*11に期待したい。

*1:1953年にシダモ州で自生のものを観察した報告がある

*2:場合により、南西部のカッファと、西部のウォレガに細別することもある

*3http://www.springerlink.com/content/31k34841mw054212/

*4:マイクロサテライト(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%82%B5%E3%83%86%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%88)マーカーを用いて、遺伝子の違いを解析する方法。本報ではマイクロサテライトマーカーをPCR増幅しているが、この方法は他の解析方法(AFLPやRAPD)などと比べて微妙な違いを検出するのに向いている。アラビカとロブスタなど種間の違いは他の方法でも解析可能だが、アラビカの品種間の違いを検出するのにはこの方法が適している。

*5:多様性の指標としては、シャノン指数H'が用いられる(大きい方が多様性も大きい)。イエメン栽培種(H'=0.028)、ブラジル栽培品種(0.030)に対し、シダモ(0.143)、カッファ(0.142)、イルバボール(0.147)とエチオピア諸地域のものが多様であった。

*6:どちらも(A-1)グループに含まれているが、ハラーの種子に由来するシダモのサンプルの一つは、(A-2)グループに入っており、単純に結論づけることができない。今後、用いるマーカーとサンプルの数を増やして解析することが望ましいが、元々の種苗コレクションにハラーのサンプルの種類が少ないようだ。

*7:この仮説は、CIRADの研究員であるC. MontagnonとP. Bouharmontが1996年に提唱したものである。彼らは遺伝子解析ではなく植物の形態的特徴から多変量解析を行い、(A)西側グループ、(B)東側+栽培種グループの二つに分かれる、という結果を得た。その上で、エチオピア東西二つの野生種の「中心地」があって、東側のものが栽培化されてイエメンに広まるとともに、東側では人為的栽培によって野生種が失われた、という解釈を述べた。ただし以降の遺伝子解析では、上述のSilvestriniと同様に(A)東西エチオピア、(B)栽培種グループ、に分離したと報告しているものが多い。

*8:実はこれ以前の論文では、エチオピアと近代の栽培種の比較がメインで、イエメン栽培種については殆ど解析されてない。

*9:バイオ系研究者のセンスからすると、実際はそこまで言い切れるものではないのだが。まぁこの辺りは、専門家でないワイルドだからこそ、そういう「粗い」発言が許されるのだ、という部分はある。

*10アントニー・ワイルドもハラーでさまざまなタイプのコーヒーの交雑が起きた可能性を述べている。また、山内先生も、近年エチオピア全体的にタイプ固有の特徴が失われていることを指摘(http://www.tsujicho.com/oishii/recipe/pain/cafemania/kimame3.html)している。

*11:結局のところ、そのためにはハラーのサンプルを増やし、解析するマーカーもさらに増やして、より詳しく検討することが必要だ。