可哀想なエミール

ちょうどこの頃、一人のベルギーの植物学者が、コンゴで大規模な現地調査を行っていた。エミール・ローラン http://www.br.fgov.be/PUBLIC/GENERAL/HISTORY/laurent.php その人である。彼は1895年、コンゴの奥地で「恐らく新種と思われるコーヒーノキ」を発見し、押葉標本 http://www.br.fgov.be/RESEARCH/COLLECTIONS/HERBARIUM/detail.php?ID=327562 を作成した。また、1898年に標本と、その生きた植物を本国ベルギーに送ったとされる。この植物は、ローランの弟子であった「もう一人のエミール」、エミール・デ・ウィルデマン http://www.br.fgov.be/PUBLIC/GENERAL/HISTORY/dewildeman.php と、(All about coffeeの記述を信じれば)ベルギーのとある園芸会社の手に渡った。


先に名付けたのは、デ・ウィルデマンである。彼は、コンゴのエミール・ローランに敬意を払い、この植物に彼の名前を付けた…C. laurentii De Wild.、「ローランのコーヒーノキ」である。一方、これに少し遅れて、園芸会社に渡った方には、同じくベルギーの植物学者であったルシアン・リンデン(植物学者として名高い「リンデン」…ジャン・ユーリス・リンデンの息子)が、C. robusta L.Linden と名付けた。「ロブスタ」、あるいは昨今なら「ロバスト」と言った方が通じる人もいるだろうか、頑丈さや野生のたくましさ、あるいは「粗野で野蛮な」と言ったイメージの言葉である。おそらくは、単純にアラビカに比べて見た目が野性的なところから名付けられたのであろうが、この言葉のイメージが、後の普及と名前の混乱につながっていく。


やがてベルギーでの研究により、この新種の植物がさび病に対して強い耐性を持つ可能性が示された。そこで、この園芸会社からジャワに向けて、数十本の「ロブスタ」の苗木が送られ、試験的な現地栽培が行われた。その結果も極めて良好なものであり、まさに「ロバスト」…多少の外的要因に負けない頑強さ…な新しい「コーヒーノキ」として、ジャワでの転作が大々的に進められていったのだ。


その後、かのユーカースは、"All about coffee"の中でこのように記している。

Emil Laurent, in 1898, discovered a species of coffee growing wild in Congo. This was taken up by a horticultural firm of Brussels, and cultivated for the market. This firm gave to the coffee the name Coffea robusta, although it had already been given the name of the discoverer, being known as Coffea Laurentii.

(Ukers "All about coffee", p.144)

つまり、この当時はまだ「ロブスタが通名で、学名はCoffea laurentii」という位置付けだった。このときはまだ、「二人のエミール」の名前は、片や種小名として、片や命名者名として、細々と知られていたと言えるだろう。

ちなみに「カネフォーラ」については

Among the robusta varieties, Coffea canephora is a distinct species, well characterized by growth, leaves, and berries. The branches are slender and thinner than robusta; the leaves are dark green and narrower; the flowers are often tinged with red; the unripe berries are purple, the ripe berries bright red and oblong. The produce is like robusta, only the shape of the bean, somewhat narrower and more oblong, makes it look more attractive. Coffea canephora, like C. robusta, seems better fitted to higher altitudes.

(Ukers "All about coffee", pp.145-146)

ということで、ロブスタの変種として扱っている。


「二人のエミール」に、ある意味とどめを刺したのは、さらに40年ほど後に活躍したフランスの植物学者、シュバリエ http://en.wikipedia.org/wiki/Auguste_Chevalier である。コーヒーノキの分類において、シュバリエの貢献は大きい。1947年、シュバリエは当時120種類ほどの種が提唱されていたCoffea属を再整理し、およそ半分の60種強にまで減らすとともに、それらをEucoffea, Mascarocoffea, Argocoffea, Paracoffeaという4つの節にまとめ直し、さらにこのうちEucoffeaについて、Erythrocoffea, Pachycoffea, Melanocoffea, Nanocoffea, Mozambicoffeaの5つの亜節を設けるという、新しい分類体系を提唱した。この体系は、途中いくつかの大幅な改変が加えられたものの、2006年にA.P.Davisが新たな分類体系を提唱するまで、基本的に継承されつづけたものである。


カネフォーラ/ローレンティイ/ロブスタの扱いについて、シュバリエはまず1942年に、ローレンティイの学名を、C. canephora var.laurentii (De.Wild.) A.Chev. とすることを提唱した。つまり「ローレンティイは、カネフォーラの一変種である」としたことになる。そして、さらに分類体系の見直しと時を同じくして、1947年にはロブスタについても、C. canephora subvar. robusta (L.Linden) A.Chev. という学名を与えた。「ロブスタはカネフォーラの一亜変種である」という扱いである。これら一連の「改名」によって、ロブスタとローレンティイだけでなく、カネフォーラもまた種のレベルでは同じ植物と見なされることになった。そして、正式な学名は必ず「早い者勝ち」で決まるという原則から、すべてがC. canephoraという学名に統一されたのである。var.やsubvar.などの扱いについては、種ごとに様々であるが、シュバリエによる統一以降、カネフォーラ種について種以下のレベルが議論されることはほとんどなくなった*1


以上のような経緯から、C. robustaという学名は正式なものではなく、シノニム(同種異名)の一つである、または(シュバリエがかつて名付けたが、現在は使われることのほとんどない)亜変種名である、というのが「植物学上の」位置付けになる。ただし、依然として「ロブスタ」の名は、栽培地では多用されており、通名あるいは、ある意味で「栽培品種名」のような扱いを受けている。研究者であっても、そのような「現状」をあたら無視できるような状況にはなく、学術論文でも「正式な表記」の場合はC. canephoraを用いながら、「いわゆる"Robusta coffee"」という類いの注釈を初出時に付けるのは珍しくない……そのような形で「ロブスタ」の名は残ったが、「ローレンティイ」の名は失われてしまった。

ちなみにエミール・ローランは、その後もコンゴでの調査を続け、その途中で命を落とした。1904年のことである。コーヒー関連の年表を眺めても、たった一言「1898年、エミール・ローランがコンゴでロブスタを発見」と書かれているのが関の山だ。コーヒーに携わるもので「エミール・ローラン」の名を知るものは、恐らく、今では極めて僅かだろう。


しかし、彼が遺した「さび病に強いコーヒーノキ」の子孫は、今も世界中で栽培され、全生産量の20~30%を占めている。ジャワのコーヒー栽培を救い、さらには1970年以降の、中南米での「第二次さび病パンデミック」の時にも、ティモール・ハイブリッドの起源として、間接的に世界のコーヒー栽培を救ってきた……その木は彼の名にちなんでその弟子が名付けた「ローランのコーヒーノキ」という名ではなく、今も「ロブスタ」と呼ばれているが。

*1:唯一、「コニロン」の扱いが人によって分かれるが、植物学上は変種や品種といった明確な区分はなく、栽培品種としての扱いだ。