パルプトナチュラルと半水洗式

ブラジルが、アメリカのクリーンカップ派の台頭のために行った対策は、この「ナチュラル」という言葉の普及だけではありません。そのもう一つの答えが「パルプトナチュラル」です。80年代以降、ブラジルは従来の乾式精製だけでなく、パルパー処理で果肉を除いた後に乾燥する「パルプトナチュラル」の生産に力を入れるようになります。この精製方法は、ブラジルでは既に1950年代後半の文献に見られますが、当初は「pulped and dry」「semi-washed セミウォッシュト/半水洗式」「semi-dry セミドライ/半乾式」とも呼ばれていました。


上述したように「水洗式がパルパーの発明によって生まれた」とするならば「パルプトナチュラルはパルパーの発展によって生まれた」と言えるでしょう。パルパーをさらにもう一歩進めて、ミュシレージの部分まで効率的に除去可能な器具(いわゆる「ミュシレージ・リムーバー」)の開発がその始まりになっています。その最初の記録はかなり古く、1930年代にインドネシアで使われていたドイツのKruppe社の"Raoeng pulper"というパルパーに、すでにミュシレージまで取除く性能がありました。その後もHenschel社、Stülcken社などのドイツ製のものがインドネシアで使われていたようですが、彼らはそれを単に「改良型パルパーの一種」と見なし、特別扱いはしていませんでした。

ラテンアメリカでは1960年代後半、イギリスのE H Bentall社製の"Aquapulpa"がその最初だと言われています。器具名はスペイン語"aquapulper"なので、やはり「パルパー」の一種と見なされていますが、これを元にして1980年代初頭には"ELMU"(Eliminadoras de Mucílago/スペイン語で「ミュシレージ・リムーバー」、の略)と言う名前で、コスタリカなど中南米諸国で生産され用いられるようになりました。


「半水洗式/半乾式」というのは、精製工程の前半で水洗式と同じようにパルパーを使うものの、後半では水洗式のような発酵水槽を使わずに乾式と同じように乾燥させることから付いた名前です。そういう意味では折衷型なのですが、現在は「セミドライ」という言葉は使われずに、上述のように"semi-washed"という言葉でISO 3509に「湿式の一つ」として分類されています。こうなった背景にも、ブラジルが「乾式だけではない」というイメージを普及させることに腐心していたことを伺うことができます。


現在、中米諸国ではハニー精法などの形に発展している「パルプトナチュラル」ですが、それが先行していたブラジルでは、元々アメリカの「クリーンカップ派」への回答の一つとして発達したという経緯が有ります。特に、ジョージ・ハウエルに代表されるような、いわば「原理主義的なクリーンカップ派」は「精製工程に由来するような香味が、生豆に付かないこと」をクリーンカップの条件として掲げてますから、果肉やミュシレージをさっさとこそぎ落としたパルプトナチュラルこそが、「クリーンカップ派の注文通りのコーヒーだ」ということになるわけです。


こうした流れからブラジルでは、パルプトナチュラルは「ミュシレージを完全に取除く」方向を目指して発達していきます。今日でいうところの、中米の「エコウォッシュト」と同じような方向です。最初のうちは、まだパルパーやミュシレージ・リムーバーの性能などの問題がありましたが、まもなくそれらの性能が向上してミュシレージを完全に機械的にこそぎ落とせるようになりました。しかしいざ出来上がって、カッピングでの点数がよくなったかというと…。確かにクリーンとは言われるけれども、味の華やかさや個性が足りないという評価になっていきます。要するに「アメリカ人が、やれクリーンだクリーンだと言うから注文通りに作ってみたら、こんなもんだ」という、そういう結果になったわけです。これが教訓となって、従来のナチュラルの再評価や、パルプトナチュラルでもわざとミュシレージを多く残して乾燥させる応用法(ハニー精法)の開発へと繋がっていったのです。

「乾式」の呼称 ~消えていく「非水洗式」の名

本書でも触れていますが、乾式はもっとも古くから行われており、コーヒー精製の「原型」と位置づけることができます。1850年代にカリブ海で、パルパー(パルプ除去器、果肉除去器)を用いる水洗式が考案されるまで、これ以外の精製法はありませんでした。


1922年に書かれた、Ukersの"All About Coffee"では、この方法は"dry method"のほか、"wet method = washed(水洗式)"との対比で"unwashed"(非水洗式)と呼ばれています。見出し文には"Washed and Unwashed Coffee"と書かれているため*1、"dry"よりも"Unwashed"という呼称の方が前面に出ています。

また、それ以外の呼称として

The coffee prepared in this way is sometimes called "common," "ordinary," or "natural," to distinguish it from the product that has been cleaned by the wet or washed method.

と、common(普通の), ordinary(普通の)、natural(自然の、普通の)という別名が紹介されており、現在よく使われる「ナチュラル natural」の名も既にこのころから使われていたことが伺えます……とはいえ、この当時は「自然/天然」の持つ良いイメージを意識したものではなく、パルパーという器械を「わざわざ使う」ことがない「従来通り」の方法という程度の意味しかありません。しかも、他のいろんな呼称の中でいちばん最後に出てくる程度の扱いでした。


Ukersの頃から「Washed - Unwashed」という対比的な呼び名は一般的で、これに倣って日本でも「水洗式 - 非水洗式」という訳語が使われてきました。しかし「非水洗式 "unwashed"」という言葉は、現行のISO 3509には見られません。一方、1994年に最終改訂のICO用語集 http://dev.ico.org/glossary.asp には、"Unwashed"の記載があります。

実はISO 3509でも一つ前のバージョン、ISO 3509:1989 までは"unwashed coffee"が用語として収載されており、naturalやdryなどの項から"unwashed"が参照されるなど、むしろ主体的な扱いになっていました。それが2005年になって削られたのです。これは何故なのか……その背景には、コーヒーの「消費大国」アメリカでの消費動向と、それと対立する「生産大国」ブラジル側の事情があります。


f:id:coffee_tambe:20140206153324p:image:w240:right

コーヒーは「熱帯地方産の一次産物の中で、石油に次いで第二位の取引商品」と言われており*2、毎年巨大規模の国際取引が行われています…いわゆる「コモディティコーヒー」は、この取引対象となるコーヒーを意味します。いくら「スペシャルティコーヒーが流行してる」と言ったところで、取引規模の大きさでは比べ物にならないほどの「巨大市場」です。その主な取引は、いわゆる「ニューヨーク商品取引所(現ICEフューチャーズUS)」で行われており、ここで世界中のコーヒーは現在、以下の4グループにカテゴリ分けされ、それぞれに値が付けられています。

  1. Colombian Mild Arabicas(コロンビア・マイルド・アラビカ):コロンビア、ケニアタンザニアの水洗式アラビカ
  2. Other Mild Arabicas(アザー・マイルド・アラビカ):上記以外の国(中米など)の水洗式アラビカ
  3. Brazilian Natural Arabicas(ブラジル・ナチュラル・アラビカ):ブラジル、エチオピアパラグアイの乾式アラビカ
  4. Robustas(ロブスタ)

このうちロブスタは常に「低価格低品質」という扱いで、残る三つの「アラビカのグループ」は…それぞれ (1)コロンビア、(2)中米諸国、(3)ブラジルという、中南米ラテンアメリカ)生産国がグループ代表に当たるのですが…グループごとに生豆の取引価格が異なります。もちろん収穫量など世界的な需給バランスに応じて生豆価格は毎年変動しますが、三つのグループの値段が「どういう順番になるか」は一つのポイントになります。それぞれの年で最も高値に取引されているグループが、最大消費国であるアメリカから最も高評価されていた、と見なせるからです。


実際は、この「グループごとの取引価格」を決める要因は結構複雑で、「生豆が他国より高価格=生豆自体の品質が他国より高い」と単純に見なすことはできない部分があります。例えば消費者感情を考えても、同じ品質ならば、そのときに外交関係が悪化している「仲の悪い国」のコーヒー豆よりも「仲の良い国」のコーヒー豆の方が売れ行きは良くなると考えられるでしょう。生豆の「値段 value」は、単に「品質 quality」だけでなく、もっと総合的な「価値 value」で決まるものなのです。


上述したようにコーヒー取引の経済規模は巨大なため、生産国にとって自国グループの生豆価格は無視できない経済要因になりえます。これは特に、まだコーヒー以外の産業が発達していない地域と時代で顕著であり、アメリカから見ると中南米諸国への経済的措置に直結する外交カードの一つでもありました。これは1960年代に締結された国際コーヒー協定(ICA)自体が、冷戦時代のラテンアメリカ共産主義化を防ぐための、西側による経済保護政策であったことからも伺えます。


右に1976-2007年の取引価格の推移のグラフ(妹尾,2009から引用)を示します。アラビカ3グループの取引価格の推移をみると、1986年までは、(1)コロンビア・マイルドと (3)ブラジル・ナチュラルが1,2位を争っていたことがわかります。しかし1987年に(3)ブラジル・ナチュラルが3位に転落し、以降は他2者の後塵を拝しつづけています。また、それまでずっと3位だった(2)アザー・マイルドの評価が上がっており、(1)コロンビア・マイルドの価格を超えるには至らないものの、かなり肉薄する年もあることが判ります。この傾向は2008年以降も続き、現在統計が公開されている2012年まで変わっていません(http://www.ico.org/new_historical.asp 参照)。


このブラジルの評価の下落、アザーマイルドの評価の上昇の背景には、アメリカ・スペシャルティコーヒー運動の中での「クリーンカップ派」の台頭*3があると言われています*4。1980年代に入ると、スペシャルティコーヒーの中でも特に「クリーン」と評価されやすい水洗式のコーヒーの人気が高まりました。例えば、既に1983年にはアメリカ側から、ICAが定める生産国輸出割当でブラジルの分を削って、中米のアザーマイルドをその分増やすような要望が出た*5ものの、ブラジルが難色を示した記録が残っています。


なぜ「クリーンカップ派」の主張が、ブラジルへの評価を落とすことに繋がったのか。そこには英語の"clean"という言葉が含意するイメージが大きく関わっています。"washed"(洗浄した)と"unwashed"(洗浄していない)、どちらの言葉が"clean"(きれい)なイメージに繋がるかというと当然「洗った」方ですし、もともと"unwashed"には「汚れた/汚い」という意味もあります(http://eow.alc.co.jp/search?q=unwashed&ref=sa)。また一般的な「きれい clean」の反対語に「汚れた dirty」がありますが(http://www.synonym.com/antonyms/clean/)、これは"dirt"、すなわち「土」が語源になっています。この点でも「地面」に拡げて乾燥させる乾式のイメージは不利だと言えます。

ブラジルの生産者たちは、こうした「言葉から来る悪いイメージ」の払拭に煩わされることになりますが、そこで行き着いた答えの一つが、アンウォッシュトという呼び名を廃して、「ナチュラル」という呼び方を普及させることでした。言葉から来る悪いイメージに苦しめられた彼らは、単に「乾式 dry」という中立的な言葉を飛び越して、「natural=天然の、自然の」という、今度は逆に「良いイメージ」の、特に「天然指向」の人たちにとって良いイメージに結びつきやすく訴求性がある言葉を使うようになったと言えます*6

*1http://www.web-books.com/Classics/ON/B0/B701/26MB701.html

*2:ただし、この表現はいささか正確性に欠けます。詳細は妹尾(2009)の論文、脚注1を参照。

*3:ここを単に「スペシャルティコーヒーの台頭」と書かなかったことには、十分に注意してください…「高品質なコーヒー生豆を求める」という「スペシャルティコーヒー運動」と、「『汚れ』がつかない味を求める」という「クリーンカップ派」は、もともとは別のモノです。この部分は、現在の日米コーヒー業界での新興勢力の主義主張にも深く関わってくる問題で、出来れば解説を避けたい面倒なテーマなのですが…ここをきちんと分けて理解できないと、近年「ナチュラル」や「ハニー精法」が流行っていることが持つ本当の意味を理解しているとは言えませんので。詳細はまたの機会にでも解説できれば。

*4:実際には、上述のようにブラジルとアメリカの政治経済からの影響は無視できません。ブラジルは、1964年にカステロ・ブランコ将軍によるクーデターで成立していた親米右派の軍事独裁政権から、1985年に民政移管しており、ここから現在の中道、中道左派路線へと転換していきますが、この時期とも重なっています。またラテンアメリカでは1970年代から、主に欧米からの過剰投資によって対外債務が増大していましたが、1980年代初頭にアメリカのレーガン政権下での自由主義経済政策(レーガノミクス)による世界金利の上昇などから、1982年のメキシコが債務危機に陥り、これを皮切りにラテンアメリカ全体が「空白の10年」と呼ばれるマイナス経済成長とインフレに見舞われます。ブラジルも、メキシコやアルゼンチンとともに、この影響を大きく受けた国の一つですが、1987年2月には外国民間銀行への利払いの一時的中止、いわゆる「モラトリアム宣言」を出しています。こうした政治経済要因の影響は非常に複雑ですが、ブラジルの一次産業への投資に当たるブラジル・ナチュラル・コーヒーの先物取引に影響を与えなかったとすることはできません。

*5:ただし、これも単純に高品質要求によるものと考えるべきかどうかは、また微妙です。この前年にあたる1982年、メキシコで債務危機が発生したことで、ラテンアメリカの経済危機が顕在化していた影響も考慮する必要があるでしょう。

*6:もちろん、これはこれで中立的なものではなく、フェアとは言いがたいやり方でもあるのですが。

『コーヒー おいしさの方程式』紹介 (10)

f:id:coffee_tambe:20140128142222p:image:right

補足解説3。精製法の話を少し。


近年、いちばん多様化が目覚ましいのが精製法ですが、この部分は一度きっちり整理させとく必要を前々から感じてました。いろんな本で精製法について書かれ、割と好き勝手に定義や分類がされていますが、精製法にはれっきとした国際規格(ISO)による定義と分類が存在しています。

「コーヒーとコーヒー製品:用語集」こと、ISO 3509は1984年に最初に制定され、その後1989年、2005年に改訂されています。現在はこの2005年版が最新になり、コーヒー関連の用語が英語とフランス語で定義されています。精製法に関しては、

  • 2.6 wet-processed coffee
  • 2.8 dry-processed coffee
  • 7.2 dry process
  • 7.3 wet process

で主に述べられています。さらにwet-processed coffeeの項には、その中に"washed"と"semi-washed"の2種類があること、dry-processed coffeeの項には別名で"natural"と呼ばれることが記述されています。

ISO 3509に日本語の用語定義はありませんが、過去の用例から日本語に訳すと

  • 湿式(ウェット)
    • 水洗式(ウォッシュト)
    • 半水洗式(セミウォッシュト)
  • 乾式(乾燥式、ドライ、ナチュラル)

と大別するのが、現在(2014年1月時点)で最新の分類という扱いにできるでしょう。

本書やスペシャルティ大全で取り上げている、パルプトナチュラル、ハニー精法、エコウォッシュトなどの語は記載がありませんが、これらはISOの定義文に当てはめれば、すべて「湿式」の中の「半水洗式」に該当します。スマトラ式もこれに準じると考えていいでしょう。

近年はパルプトナチュラルやハニー精法などを「ナチュラル=乾式」の仲間として分類しているコーヒー屋さんの資料も見かけるのですが、国際規格での定義がある以上、おいそれと無視するわけにはいきません*1。図中で「ウェット(ISO分類)」という大きな枠内に表しているのはこのためです。

*1:実際、香味の特徴などでは似ている部分が多いので、ひょっとしたらISO 3509の次回以降の改訂で変更される(半水洗式で独立させるなど)かもしれませんが、現時点では時期尚早です。

耐病性ハイブリッド

1970年代、中南米のコーヒー栽培は大きな脅威に晒されました。コーヒーさび病の発生(『さび病パンデミックの衝撃』参照)です。これに対抗するための方法として、80年代後半から90年代にかけて、コロンビアやブラジル、そして中米諸国は相次いでアラビカとロブスタのハイブリッド系の耐病品種を開発し(SP大全の品種チャートに収載)、それに転作することでコーヒー生産存続の危機を何とか乗り越えました。

ところが、これとほぼ時を同じくして「中南米のコーヒーの味が全体に悪くなった」という評価が、消費国側で囁かれるようになります。耐病性ハイブリッド品種は、国際取引上では「アラビカ」として扱われているのですが、初期の耐病品種はロブスタの持つ優れた耐病性と同時に、ロブスタ特有の成分バランス…クロロゲン酸の多さやショ糖や脂質の少なさ…も、部分的に受け継いでしまっていたためだと考えられています。これによって、いわゆる「コモディティ」の香味品質が低下したという評価が、70年代から始まっていたスペシャルティ運動をさらに後押しする要因になったと考えることができます。


耐病性ハイブリッド品種は、現在も中南米など多くの生産地で栽培されています。ただし現在栽培されているものの多くは、90年代以降にさらに品種改良を繰り返し、耐病性以外をアラビカに近づけるための「戻し交配」を重ねていったものとなっています。少なくとも、生産国側のカッパーの多くは「カッピングの結果では、従来の品種とほとんど変わらなくなってきた」と主張していますし、実際のブラインドテストでもその主張が概ね裏付けられつつあります。


しかし消費国側では未だに「ハイブリッド、イコール低品質」という思い込みがぬぐい去れていません。未だに「ハイブリッド」と聞いただけで侮って低く評価し、敬遠するコーヒー関係者もいるのが現状です。評価が低ければその分「買い叩ける」し、耐病品種以外を扱う業者にとっては耐病品種を叩くことが自分たちのコーヒーの差別化にもつながるなど、利害絡みの思惑もその背景に存在すると思われます。

一方、生産国側としては、耐病品種を売り込みたいところでしょう。ただでさえ価格不安定なコーヒー生産では、不要なリスクは避けたいところですし、農薬散布などに掛かる対策コストを考えれば、耐病品種の方が有利です。とはいえ、スペシャルティ運動の高まりに伴って消費国側のニーズが増えたため、耐病品種でない品種を作って付加価値を得ようとする生産者も一方では増加しています。ですが、それは「ワクチンを打たない人が増えた」ようなもので*1、産地全体にさび病の脅威を高めることにもつながりかねません。昨年も中南米での「新型さび病」の発生が話題になったように(『さび病基本Q&A』参照)、コーヒーさび病は現在も変わらず大きな脅威であり、コーヒーそのものが今後存続していけるかどうかは耐病品種に掛かっているといっても過言ではありません。これは「コーヒーのサステイナビリティ」の問題にも繋がるのです。


こうした問題は、例えば"Disease Resistance and Cup Quality in Arabica Coffee: the Persistent Myths in the Coffee Trade versus Scientific Evidence"と題したVan Der Vossenの2008年の論文*2などでも良く議論されています。またワインの世界にもこれと似たような歴史があり、ブドウ根アブラムシによる病害によってフランスなどでは伝統的なブドウ品種の栽培が困難となり、現在主流の品種(カベルネソーヴィニヨン、メルローピノノワールシャルドネなど:耐病性の台木との相性がいい品種)への転作が進みました。ワインの場合、ボルドーにせよブルゴーニュにせよ、最終的にはこうした「耐病品種」が受容され、それを用いて各地の特性を表現しながら、テーブルワインから超高級品までさまざまなランクのワインが作られるようになっています。しかし、コーヒーの場合はまだそうした状況には至っていないというか…耐病品種への「軟着陸(ソフト・ランディング)」を図るのではなく、生産側が一方的にリスクを抱え込む形で、スペシャルティ好みの従来品種を作りつづけることで「高品質」を支えているという構図にあります*3


……とまぁ、耐病品種を取り巻く問題は非常に多面的で複雑だと言えます。「スペシャルティ時代になって、生豆の品質は『成分的に』良くなったか」という疑問に対する答えもまた複雑です。80年代後半~90年代に中南米で「耐病品種によって」品質が低下したと言うのが本当かどうかも、実は意見が分かれる部分もあるのですが*4、正しいとするならば、スペシャルティ時代(70年代以降)に入ってから、当初の理由(国際コーヒー協定やアメリカ国内のロースターでの価格競争激化)とはまた別の、さび病という原因によってコモディティの品質が低下した、と考えることができるかもしれません。ただしそれが事実かどうかはともかく、そういう評判があることは確かであり、それを踏まえてスペシャルティ時代の後半になってから「昔の高品質だった時代に近づけようとする動きが出ている」と言うことは可能でしょう。

今後もこの動きが続けば、耐病品種のさらなる改良によって、特に「コモディティコーヒーの品質」が高まっていくのはまず間違いないでしょう。現在スペシャルティを作っているところも当然、その恩恵に与って安定生産が可能になると思われますが、そうなったときにどうやってコモディティと「差別化」していくのか……なおもハイブリッドを腐しつづけて差別化を図るのか、香味ではなく従来品種という希少性や物語性をアピールするのか、それともワインの一流の作り手たちのように耐病品種を受容した上で、別の部分でさらなる高品質を目指すのか……。


この辺りは考え出すと本当にきりがないのですが、この根幹となる「耐病品種の香味」問題も元を辿れば「アラビカとロブスタの香味の違い」から生じています。

*1:実際は、さび病は標高の低いところで発生しやすいため、標高の低いところでは耐病品種を、標高の高いところでは従来の品種と「植え分け」する生産者が多いです。ただし近年の需要増加で、従来品種が以前より低いところまで栽培が広がる傾向も見られます。

*2http://asic-cafe.org/en/system/files/A114_2008.pdf で要旨が読めます(PDFファイル)。

*3:もちろんワイン業界も一枚板ではないので、病気に弱いが希少性のある品種で高品質なワインを作る作り手もいるでしょう。また他の農作物での無農薬栽培などへの消費者支持にも同様の側面があるので、コーヒーだけに限った構図ではありません。

*4:例えばこの頃、コロンビアでは「フェノール臭問題」と言われる、一種の異臭を伴う欠点豆の増加が起きています。この原因に、は当時さび病対策に使われた殺菌剤から土壌のカビが作り出す2,4,6-トリクロロフェノールTCP)や2,4,6-トリクロロアニソール(TCA)の関与が指摘されていますが、クロロゲン酸類の増加や組成の変化もコーヒー中のフェノール類の量に影響することが予想されます。

アラビカとロブスタ

「あれだけスペシャルティとか高品質とかと言ってきたのに、いまさらロブスタの話?」と思われた方もいたかもしれません。ゲイシャとかパカマラとか、いろんな品種が出てきた中で、なぜ今更アラビカとロブスタの比較なのか。


理由は三つあります。その一つ目…これが最大の理由なのですが、とても単純で、ゲイシャやパカマラと言った、スペシャルティ時代になって脚光を浴びるようになった新しい品種では、成分を分析した論文がまだ出てないからです。データが出てないものは、取り上げようがありません。

これも「いわゆるコモディティ時代」のものになると、品種と成分や香味を比較した論文はそれなりにあります。実際の香味や、これまでの(コモディティ時代の)論文のデータから考えると、例えばゲイシャには、花や柑橘系、アールグレイ紅茶の香りがするリナロールとか、レモンの香りがするリモネンなど、テルペノイド系の精油成分が、従来のコーヒーの品種に比べると多いんじゃないだろうか、とか仮説だけならいくらでも立てることができます。しかし、それが本当に正しいかどうかは、実際に分析された研究論文がない以上は何ともいえないのです*1


では「コモディティ時代」のデータでもアラビカで、成分に違いがあるようなアラビカの品種間で比べればいいじゃないか、と思われるかもしれません。しかし本文中でも触れているように、例えばティピカとブルボンの比較のような、アラビカの品種同士での比較では、成分レベルでの違いはほとんど見られません。だから、これらを「成分レベルで」比較しても、品種の違いと香味との関連を説明することはかなり難しいのです。これが二つ目の理由*2

この「香味における品種の重要性」を解説するためにいちばん打ってつけなのが、結局、成分の違いが非常にはっきりしているアラビカとロブスタの比較です。つまり「From Seed To Cup」の流れの中で「品種(→ seed)の重要性を最も端的に表すモデルケース」として、これを例に挙げたわけです。


そして三つ目…これは非常に複雑で、結構デリケートな問題なのですが、耐病品種との関連があります。

*1:SP大全が出るころから、まだかまだかと論文が出るのをずっと待ち続けてるのですが。

*2:「でもティピカとブルボンって、香味がちょっと違うじゃない」と思う人もいるかもしれません。その通りです。「生豆の成分は大差ないはずなのに、焙煎すると味が違う」というのは、非常に面白いポイントなのですが、それを説明することができた研究者はまだいません。実は田口氏の「システム珈琲学」の中に、その答えの可能性があるのですが、それは後日に。

『コーヒー おいしさの方程式』紹介 (9)

f:id:coffee_tambe:20140123151713p:image:right

補足説明その2。アラビカとロブスタ。

コーヒーの品種と、成分や香味の関係についての話です。


右に示したのが、本書で用いられたものの原図にあたります(味の部分のみですが、本の中では香りと味両方のものが示してあります)。これも原図では結構線が入り組んでいて見づらいですが、デザイン担当の山崎氏の手ですっきりと見やすいものが載せてあります。

ただし見やすさを優先するに当たって、原図から大きく変更した点があります…すでに本をお持ちの方は、見比べていただくと判りやすいかもしれません。原図の方では左側のアラビカ/ロブスタの成分から、右側の「フレイバーチャート」に被せるようにしています。これに対して本ではこのフレイバーチャートをカットし、「どういう香味が出るか」をシンプルに説明することだけに集中させています。


この「成分表をフレイバーチャートにリンクさせる」というのは、コーヒーの香味を考える上での重要なポイントの一つになります…生豆に含まれている香味の前駆物質(プレカーサー)のうち、特定のものが多くなれば、それに応じて焙煎後の香味も変化します。例えば、ロブスタのように「クロロゲン酸類が多い豆」を想定するならば、それに応じて、クロロゲン酸から繋がってくるフレイバーチャートの成分…コーヒーらしい苦味やエスプレッソの苦味や、スパイスのような香り(ビニルグアヤコールなど)の生成量が増える…量が増えてそれらの香味の特徴が強く出るとともに、通常よりもやや早い焙煎段階からでも感じ取れるようになります*1


こうしてフレイバーチャートを活用すれば、生豆に成分レベルで変化が起きたとき、焙煎豆の香味がどう変化するかを予想しやすくなります。これは品種に限らず、精製法や栽培条件などでも同様です。本文中では、標高や精製法がどのように生豆の成分に影響するか、いくつか代表的なものを紹介していますが、その条件をフレイバーチャートに当てはめれば、それぞれの香味の特徴をなんとなく掴めるでしょう。

*1:香味成分が実際に香味として感じられるようになるには、一定の量(閾値)を超える必要があるため

『コーヒー おいしさの方程式』紹介 (8)

f:id:coffee_tambe:20140122065338p:image:w360:right


『コーヒー おいしさの方程式』。よく行く書店でも見かけるようになり、おかげさまでアマゾンの売り上げランキングでは「グルメ一般」部門で1位になるなど、好評をいただいています。


補足説明の第一弾として、最初のテーマは「テロワール」「ミクロクリマ」の解題。

コーヒー栽培の過程で、「テロワール」は、生豆を生み出すさまざまな環境的要因を指す概念です。元々は、フランスの伝統的なワイン生産の場で古くから用いられてきた言葉で、そのワインを生み出す生産地の気候や土壌、地勢、場合によっては人など、ワイン造りをとりまくさまざまな要因を示す言葉、とされます。英語にはこれにあたる言葉がないため、そのまま使われています。日本語だと「風土」という言葉が比較的近いようですが、議論が分かれる部分があるため、やはり「テロワール」という言葉が用いられているようです。

1978年、エルナ・クヌッセン女史が「スペシャルティコーヒー」の語を国際会議で用いた際*1、"Special geographic microclimates produce beans with unique flavor profiles."という説明とともに、コーヒーの世界にもその概念が取り入れられました。アメリカでは、ジョージ・ハウエルの「テロワール・コーヒー」という店名の由来にもなっています。


コーヒー豆が農作物であることを踏まえれば、これはごく当たり前の考え方とも言えます。しかしこの「テロワール」という語はかなりの曲者で、ワイン業界ではその解釈や意義を巡って、しばしば紛糾しています……気候や土壌などの条件だけとするのか、生産者による介入を含むのか。ボルドーブルゴーニュなどそれぞれの生産地で伝統的に築きあげられた香味の特性のどこまでがテロワールによるもので、どこからがそうでないものなのか。そもそもテロワールに良否はあるのか。テロワールの重要性をやたらに持ち上げ礼賛する業界の一派や、テロワールの構成要素を細かく分析しようとする人、そしてそれらに対して有名な作り手が気分を損ねたエピソード……などなど、挙げていけばきりがありません。

ワイン業界でのテロワールを巡る論争を追っていくと、正直に言って、こんな「論争の種」をコーヒーの世界に持ち込もうという人の気が知れない……本気で取り組もうとすると、それくらいに厄介で面倒なものだとも思っています。


幸いなことに、コーヒーの世界では、まだこうした論争は(少なくとも表面上は)ありません。ただ、これは「良質なコーヒーを作るテロワール」というものに満場一致の答えが得られてるからではなく、まだその中身にまで踏み込まれていないからだと考えた方がよさそうです*2。ワイン業界から借用されてきた概念が、まだコーヒー業界では成熟していない、とも言えるかもしれません。


Coffee: Growing, Processing, Sustainable Production

実はコーヒーの品質と、気候や土壌、立地などの環境要因や施肥その他の人的な栽培要因を調べた論文は、そこそこの数があります。コーヒー栽培に関する諸条件について詳しくまとめられた専門書の一つに、Jean Nicolas Wintgens "Coffee: Growing, Processing, Sustainable Production"があります(今はペーパーバック版が出てるので、随分とお買い得です…それでも1万円以上ですが)。コーヒーの品質と、気候や土壌その他の条件の関係についても、よい総説になっています。


しかし、これまではいわゆる「コモディティコーヒー」について研究されたものは多く、また重要なデータが得られているのですが、スペシャルティ側からの研究成果については数も少なく、結果も過去のデータを再確認するにとどまるなど、特に目立った研究報告はないのが現状です*3

スペシャルティ時代になって、クヌッセン女史の言葉にもある「ミクロクリマ(微小気候)」という言葉がコーヒーの世界でも用いられるようになりました。しかし本来、この言葉はミクロに対してマクロ…つまりその気候帯全体の特性である「マクロクリマ(大気候)」というものがあって、その下に一定範囲の地域の特性である「メゾクリマ(中気候)」*4、そして農園や、畑の区画単位での「ミクロクリマ」と続き、ワインなどでは樹や枝振りごとの「キャノピー・ミクロクリマ」に至る、そういう連関した考え方です。

コーヒーの品質と、こうした地形や気候の関係は「メゾクリマ」までのレベルでは過去の研究とデータがある一方で、「ミクロクリマ」のレベルではまだきちんとしたデータが示されていない、というのが現状です。


f:id:coffee_tambe:20140115102141j:image:right

でも、それで終わるのではつまらない。だったら「これまでのデータで、どこまで見えるのか」。それをやってみたのが右の原図です。今回、本書で「From Seed to Cup」というテーマで考えるに際して、文献を集めまくって得た情報をまとめました*5。一枚の図に、いろいろな要素を網羅的に詰め込んでいるので判りにくいものになってますが、本書では、イラストレータ森田氏の手によって、見違えるほどきれいに生まれ変わり、その分見やすくなったと思います。


この図から何が読み取れるのか…「いろんな要因が相互作用してるので複雑だ」、とりあえずそれだけ再確認していただければ、まずは十分です。

例えば「日照」一つに注目しても、いろいろな形で作用します……日照はコーヒーノキ光合成を促し、豆への成分の蓄積を促します。しかし一方で日照が良くなることは、農園の気温を上昇させる方向にも働き、気温が上昇すると果実の生育は早くなるのですが、早く熟してしまう分、豆に成分が蓄積される時間が短くなるため、気温が高いほど品質低下すると言われています*6。また晴れた日が続くほど日照は長くなるので、日照の長さは降水量と相反します。それは土壌中の水分量や空気中の湿度などにも影響し……と、本当にきりがありません。

重要なことの一つは、日照や降水量、気温などを決定する要因の上位に「気候帯」があるということ。これは、例えばカリブ海周辺や南米、東アフリカ、東南アジアといったコーヒー生産地が、それぞれエリアごとに違った気候帯に属していることと繋がります。これは、こうした「大まかな生産エリアごと」に、ある程度の香味の共通性が見られることを解くカギの一つになるかもしれません。


また近年は、日本のコーヒー屋さんにも自ら産地に行って視察や買い付けを行う人が増えてきています。そのとき、例えば「うちの農園は隣のヤツのより日当りが良いから、コーヒー豆の質がいいんだ」と、ある生産者が売り込んできたとき、その言葉をどう受け止めたらいいでしょうか? 「日当りがいいと高品質なのか!」と思いながら飲むのと「いやいや、日当りの影響は結構複雑だからな…」と思いながら飲むのでは、無意識のうちにも味の感じ方に違いが出てこないとは限りません。ただ単に、その場で楽しんで味わうだけならばそれもいいでしょう。しかし、それを買い付けて帰るべきかどうか、となるとまた事情は変わってきます(もちろん、きちんとしたカッピングができる人ならば、こうした思い込みを最大限排除した上での評価ができるはずですが)。実際に飲んでみて、確かにこの農園のコーヒーがおいしかったとしても、では「もっと日当りのいい農園を探せば、もっといいコーヒーがあるはずだ」となるでしょうか?……ひょっとしたら、その地域で最高のコーヒーは、標高が高い雲霧林の中の「日当りのよくない」ところにあるかもしれません*7。そう考えると、なかなか複雑なのです。


ましてや、これがスペシャルティ時代でテロワールという言葉が変に普及して「うちの農園はテロワールが素晴らしいから、コーヒー豆の質がいいんだ」などと言われたら? ……一体その農園のどこが良いのか、何が良いのか。もちろん、私自身も「テロワール」という概念自体を否定するつもりはありません。けれど「なんでもかんでも『テロワール』とさえ言っておけばオーケー」みたいな状況も、また面白くはありません。


またワインのように、栽培から醸造、そして「味作り」までを産地で行い、さらに産地が消費地にもなる場合の「テロワール」と、焙煎や抽出などを経て「味作り」が完成されるコーヒーの場合の「テロワール」には、また別の考え方も可能かもしれません。山内秀文先生辻静雄理研究所)が「日本のコーヒーの『テロワール』」という言葉を使うことがありますが、ワインやコーヒーに対するそれぞれの国や地域での嗜好や文化も、そこに携わる人の手を介して「取り巻く環境=テロワール」の一つになると言えるのかもしれません。「テロワール」という言葉から、さらに深く掘り下げていくことで見えてくる新しい可能性に期待しています。

*1スペシャルティコーヒーという言葉自体は1974年に発表していた。

*2:加えて、生産地で栽培から醸造にいたるまでを行うワインと、消費国での焙煎抽出などの加工過程が香味形成に大きなウエイトを占めるコーヒーとの違いも考えられます。

*3:"microclimate","terroir"などのキーワードを用いた論文があまりないことに加えて、使ってはいるけれど実際に見ているのは標高の違いなど、古くから言われてきたものにとどまるものが多かったです。やや目を引いたものでは、コスタリカの報告が一つあります。距離があまり遠くないが、斜面の向きがカリブ海側と太平洋側それぞれに向かって異なる、二つの農園のコーヒーの香味特性が異なることを述べてますが、一種のケースレポート的なもので一般化は難しいです。また斜面の向きを「ミクロクリマ」の構成要素と分類するのが妥当かなどの問題もありそうです

*4:メゾクリマという段階を置くかどうかは人によっても異なります。これは「ミクロクリマ」を広義に扱うか(マクロクリマ以外すべてとするか)、狭義に扱うか(農園単位にするか)で、複数の農園が位置する「地域」をミクロクリマに入れるかどうかが異なることによります。

*5:こうした「細かく分析したデータ」を示すことには、正直言うとためらいもあります…例えば有名なワイン生産者がテロワールについて詳しく聞かれた際に「テロワールテロワールだ」と答えたというエピソードもあり、こうした還元主義的なアプローチを好まない生産者が出てくることも予想されます……実際は、この手のデータもブラジルなどの生産者から出てきたものですが、一口に「生産者」と言ってもいろんな人がいるので。また、こうした各要素の相互作用が著しい「複雑系」について、還元主義的アプローチがどこまで有効かについては意見が分かれます……ただ、じゃあそれに代わるアプローチでどこまで大きな成果を上げられるのかというと、それはそれでなかなか難しいのが現状なのですが。

*6:標高が高いほど高品質になるのは、この気温の影響が最も大きいと言われています

*7:元々コーヒーノキは陰生植物で、全日照の20%程度の光があれば、十分な光合成が行えることが報告されています。