575年イエメンへのコーヒー伝来説?

f:id:coffee_tambe:20130122211618p:image:w160:right

歴史の話はとりあえず「以下、次回に続く」ということにして、この時代までの「コーヒーの可能性」について考えてみよう。


言うまでもなく、9世紀頃までの文献で、エチオピアやイエメンのコーヒーを伺わせるものはない。ただし、イエメンにコーヒーが伝わった年代についての数々の説の一つに、575年に伝わったとする仮説が提唱されたことがある。

1961年に、プエルトリコ大学のフレデリック・ウェルマン博士(Frederick Lovejoy Wellman)が著した"Coffee: Botany, cultivation and utilization"という著書*1の中での仮説で、コーヒーのイエメン伝来の年代としては、もっとも古いものの一つである。

この文献は、アラビカコーヒーの遺伝的解析を行った、2002年のAnthonyらの論文( http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/12582651 )からも引用されている*2。右に、このAnthonyらの論文のFigure 3を示した。イエメンへの伝来に「575 AD...?」との記載が確かにあることがわかるだろう(クリックで拡大)。


この575年という年代は、上述したイエメン史の中でサーサーン朝ペルシアがイエメンに侵攻した年である。Wellmanはこの史実に注目した。文化的に進んでおり、香料や香辛料を求めて世界中を飛び回っていたペルシア人たちが、イエメンに侵攻すると同時に、自分たちの文化を伝えたその中の一つに、コーヒーもあったのだと考えた*3。またWellmanは、ペルシア人たちはもともとエチオピアのハラーからコーヒーの種を持ち出し、それを575年頃と890年頃にアラビア南部に持ち込んだ、と考えた*4


しかしながら、この時期(あるいはもっと以前)にペルシア人エチオピア探索に行ったという記録は残っていない。もちろん、コーヒーの種子を手に入れたという証拠も、イエメンにもたらしたという証拠もない。この「575年仮説」は、現在ではもうそろそろ棄却してかまわないだろうと思う…Wellmanの本は、科学的にも非常に優れた内容で、いまだに参考にできる部分も多い専門書なのだが。何といっても、遺伝子解析はもちろん、アラビア語圏の文献も十分に入手できなかった50年前に書かれたものだから、いたしかたないだろう。それに、もしペルシア人たちがこの当時からコーヒーを利用していたのであれば、もっと多くのペルシアの文献に登場しているのが妥当だろうし、ラーズィーの時代にもっと詳細な記録が残っていてもおかしくないと思われる。


それ以前の可能性

さて、575年にペルシア人たちが伝えたという仮説はさておき、ここまでの歴史から、別の可能性についても考えてみよう。つまり、3世紀、4世紀、6世紀にそれぞれ行われた、アクスム王国のイエメン侵攻のときに、アクスム人がエチオピアコーヒーノキをイエメンに持ち込んだ可能性についてだ。


しかし、その可能性もおそらくはかなり低いものと思われる。アクスム人たちは、エチオピアの中でもかなり北部に暮らす人々であり、もともとコーヒーを利用してはいなかったと思われる人々である。

何より、この頃のアクスム王国の領土には、おそらくコーヒーノキは自生していなかったと考えられる。FAOが1965にエチオピア野生種/半野生種の収集を行った際、この周辺から収集できたコーヒーノキは*ほとんど*なかった…「ほとんど」というのは、実はエリトリアで一つだけサンプル(E-579)が得られている。ただしFAOの記載から、1902年以降にイタリア人が、おそらくイエメンからブルボンを持ち込んだものだろうと推定されており、実際、遺伝子解析の結果もブルボンに近いことが判明している*5

また、この頃のアクスムは、コーヒーノキの故郷と考えられているエチオピア西南部とはまだほとんど接点がなかったと考えられる…9世紀以降のアクスム王国の南下が、彼らとの「ファーストコンタクト」に繋がり、それが歴史の表舞台に、彼らと、そしてコーヒーを引きずり出すことに繋がったのではないだろうか。

*1http://www.sugarresearch.library.qut.edu.au/111/ にPDFあり。

*2:この論文はアラビカ種のティピカとブルボンがともに、エチオピアからイエメンに渡ったコーヒーノキの子孫であることを示した点や、またゲイシャが遺伝的に多様なエチオピア野生種に属することを示した点で、マイルストーンになった重要な論文である。

*3: "Since before the Persians even began to record their doings in cuneiform, they were great travellers and prodigious lovers of luxury. They searched in every corner for perfumes, spices, and stimulants, old or new, common or exotic, to enrich their proud civilization. No one knows exactly when the first coffee came to Yemen. It has been variously estimated at about A.D. 575. It was probably brought along as part of one of the culture-carrying invasions of those Sassanid conquerors. So it seems the probabilities are that, in the beginning, the first move of coffee outside of its native habitat was by adventurers, devotees of Zoroaster, and themselves admirers of the good things of life." Wellman, p.8

*4:"The second movement was the longest lasting. It began by the carrying, by the Persian armies, of seed coming out of what was probably Harar in Ethiopia. They took the seed to Arabia Felix in about A.D. 575 and, again, in about 890." Wellman, p.32

*5:Anthony et al., Euphytica 118: 53–65, 2001.