マンダイリン・バタック族

このエピソード自体はともかくとして、マンデリンの語源が北スマトラの部族の名前から来ていることは確かだ。この部族は、北スマトラの内陸部に古くから暮らしている、バタック族(バタク族、Batak、Battak、Battas)と呼ばれる部族の、支族の一つであり、マンダイリン・バタック族(Mandailing-Batak)と呼ばれている。彼らが暮らしていた地域が「マンダイリン(族の土地)」と呼ばれ、そこで作られていたコーヒーというのが「マンデリン(Mandheling)」という名の由来である*1

もしコーヒーに詳しい人であれば、最近のスペシャルティコーヒーのブームで、「リントン・ブルー・バタック」という名前のスマトラ産コーヒーを飲んだことがある人もいるかもしれない。この「バタック」というのが、バタック族のことを意味している。


では、このマンダイリン・バタック族、そしてバタック族とはどのような民族だろうか?


バタック人(バタック族出身の人々)は現在もスマトラ島北スマトラ州などに多く暮らしているインドネシアの民族の一つである。ジャワ島のジャワ人など、他のインドネシア人に比べると、いかつい顔つきで声が大きく、勇猛かつ剽悍でしばしばデリカシーに欠けると評されることが多い。インドネシアで大声で怒鳴っている人がいれば、それはバタック人だ、と言われるくらいだそうだ。しかし、その一方で論理的な思考の持ち主で、弁護士や政治家などに多くの人材を輩出してきた。また非常に歌がうまいことでも知られている。


バタック族はさらに、大きく6つのグループに大別される。北の方から、カロ・バタック族、シマルンガン・バタック族、パクパク・バタック族、トバ・バタック族、アンコーラ・バタック族、そしてマンダイリン・バタック族である。

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ミシガン大学人類学博物館の地図を元に作成。北方にはアチェ族の支族、アラス族やガヨ族の領域がある)


同じ言語(バタック語)を用いているが、それぞれ、方言に相当する程度の若干の違いがあり、この言語の違いによって分類されている。さらにそれぞれのグループはいくつかの氏族にわかれている。元々は独自の土着の宗教を有していたが、現在はキリスト教に改宗している者が多い。ただし、南方のアンコーラ族やマンダイリン族ではイスラム教徒が多い。


改宗前のバタック族たちには、恐ろしい風習が存在しており、ヨーロッパのみならず、周辺国の人々にも恐れられていた。それは「食人」の風習だ。バタック族は、戦争で捉えた捕虜などを食べる「人食い人種」であった。ただし、彼らは栄養源として、あるいは美食のために食人を行っていたわけではない。戦士や犯罪者などを食べることで、その「強さ」や「エネルギー」を自分のものとするという考えから、儀式的に食人を行っていた。この風習は少なくとも19世紀末までは続いており、当時この地を探索しようと試みた欧米人の多くは、生きて帰ることがなかった*2。上述したバタック族のグループ同士でも、しばしば小競り合いや戦闘が生じていたが、一説にはこの食人の風習のためであったとも言われている。


この恐ろしい風習のため、当時ヨーロッパにおいては「スマトラの奥地にすむ、野蛮な人食い人種」だと評価されていたが、後にイギリス人のラッフルズが現地の調査に赴いたときに、実はバタック族が、独自の宗教観や高度な文化を持つ、「文化的な」人々であることが明らかになった。特に、独自の「バタック文字」まで有していることが明らかになり、その点では周辺の民族よりもかなり「先進的」であったとも言えるだろう*3

*1:このように、部族名が地名とコーヒーの銘柄名に結びついている例としては、モカ・マタリも思い出されるだろう。

*2:彼ら全てが食べられたかどうかは不明である。独自の慣習上のタブーに触れて殺されたり、あるいは単に途中で病死したものも多かったであろうと思われるが。

*3ラッフルズスマトラ探索で知り得た内容は『スマトラ誌』と呼ばれる著書にまとめられていたが、船の火災によってその原稿は失われてしまった。当時のスマトラ島の状況については、彼が夫人に送った書簡などから、その一部が伺える。もし『スマトラ誌』が現存していれば、『ジャワ誌』に並ぶ貴重な民族学的資料になっていただろうと惜しまれている。