とあるエピソード
この部族の名前がコーヒーの名前になった経緯については、以下のようなエピソードが世界的に知られている。
第二次世界大戦の頃、インドネシアに駐留していた日本軍の兵隊の一人が、現地のコーヒーショップに立ち寄った。そのあまりの美味しさに、彼は思わず店主にこう尋ねた。
日本兵「うまい! これ、どこのコーヒー?……
(あ、日本語は通じないか。エート、インドネシア語で「どこから?」は……)
Dari, Mana?」
店主「…?
(Umai!, xxxx?…Umae? Omai? "おまえ"ッテ言ッタノカ?…"オマエ、Dari、Mana"……アア、出身ヲ聞イテルネ!)
マンダイリン(族ノ出身デス)」
日本兵(なるほど、これは「まんでりん」のコーヒーか…)
…そして終戦後、スマトラのコーヒー輸出業者に一本の電話が入る。
日本人「マンデリンコーヒーを輸入したいんだが…」
このとき電話かけたのは、もちろんその日本兵、電話を受けたのがプワニ(Pwani)という有名な輸出業者で、このとき15トンのコーヒーを日本に向けて輸出した…と話は結ばれる。
……とても面白いエピソードだが、実はこれ、まったくの作り話である。
1903年のアメリカのシアーズの特売品カタログに、既に「Java-Mandailing」という品名が記載されているそうだ*1。シアーズのリストについては残念ながら現物を確認できていないが、ユーカーズの"All about coffee"(1922年、初版)にも確かに"Mandheling"の記述が存在している。このことから少なくとも第二次世界大戦より20年以上前に、「マンデリン」の名前が欧米に知れ渡っていたことは確かだ。