初期の品種

少し前(http://d.hatena.ne.jp/coffee_tambe/20100514#1273843882)に述べたが、ブラジルは中南米の中では比較的初期(1727年)にコーヒー栽培に着手した国である。他の中南米諸国が、マルチニーク島に移植されたド・クリューのティピカを起源とするのに対して、ブラジルはそれ以前にオランダがスリナムに持ち込んでいたティピカを起源とする(と、少なくともブラジルは主張する)。このとき、ブラジル北部のパラ州で栽培されていたコーヒーノキがやがて南部に持ち込まれて栽培されるようになる。つまりブラジルで最初に栽培されていた品種もティピカであった。これが後にコムンと呼ばれる、ブラジル従来からのティピカだと考えられる*1


1822年の独立後、1830年頃からブラジルは国家経済の要として、コーヒー栽培に本格的に力を入れ始める…この当時以降の社会情勢は、以前(http://d.hatena.ne.jp/coffee_tambe/20100513)紹介した『コーヒーのグローバル・ヒストリー』の方が詳細なのでそちらに譲ろう。1840年にブラジル皇帝として即位したペードロ2世は、1887年、当時ブラジルコーヒー栽培の中心になっていたサンパウロ・カンピナスに"Imperial Agronomical Station of Campinas"を設立。これが中南米でもっとも古いコーヒー研究所、カンピナス農業試験所(http://en.wikipedia.org/wiki/Instituto_Agron%C3%B4mico_de_Campinas)の前身である。ペードロ2世が退いてからも、カンピナス農業試験所はコーヒー研究の中心的な役割を担いつづけた。試験所にはブラジル各地で栽培されていた品種をはじめ、世界中からコーヒーの品種が集められ、さらに1933年からは本格的に、当時最先端の遺伝学の手法に基づくコーヒー育種研究を開始した。

*1:マルチニークに移植された一本を起源とするコーヒーを"tico"と呼ぶ場合があるようだが、もしかしたらそれは、この「スリナム経由のティピカ『コムン』」、および「後にジャワから運ばれたティピカ『スマトラ』」と区別するときの呼び名だったのではないかなぁ、と思ってたりする…いや、全く裏付けは取ってないのだけど。