ブルボンの優位性

1859年、ペードロ2世の統治時代にブラジル政府は、ブルボン島(現在のレユニオン島)からコーヒーを移入した。これがその後、ティピカと並ぶアラビカ二大品種の一つ、「ブルボン」として知られるものの起源だとされる。

他の中南米諸国ではティピカが栽培されており、ブラジルでもティピカの栽培が既に主流であったにも関わらず、やがてブラジルでは「新参者」のブルボンの栽培が盛んになっていく。「ティピカとブルボン」(http://d.hatena.ne.jp/coffee_tambe/20100309/)でも述べたように、ブルボンの方がティピカよりも若干収量が多いため、というのが、その大きな理由だと言っていいだろう。


ちなみにこの時、移入されたのは典型的な「ブルボン」、いわゆる「ブルボン・ロンド」だけではなかった。イエメンから移植されていたブルボンの中から、新たに二種類の「突然変異種」がレユニオン島で生まれていた。これらの変異種もまた、おそらくは同時期にブラジルに持ち込まれた。一つは、通常の半分ほどの小さな種子を付けるものであり、ブラジルでは(非常に紛らわしいのだが)モカ(Mokka)という品種名で呼ばれた。もう一つは、細長くて先端の尖った形の豆と月桂樹(laurel)に似た葉を持ち、クリスマスツリーのような樹形になるローリナ(Laurina、ラウリーナ)である…が、おそらく「ブルボン・ポワントゥ (Bourbon Pointu)」という名前で知っている人の方が多いだろう。「コーヒーハンター」川島良影氏がレユニオンで「復活」させたのと同じ品種だ。

余談:幻ではなかったブルボン・ポワントゥ

細かい(ある意味、意地悪な)指摘になるが、川島氏がレユニオンで再発見するまでの間、「ブルボン・ポワントゥ」は別に地球上のコーヒー農場から消えていたというわけではない。カンピナス農業試験所だけでなく、世界のコーヒー研究所に"Laurina"という名前で受け継がれていた。その「品質の高さ」に対する評判もそのままだ。カンピナス農業試験所が出しているブラジル品種一覧にも「高品質、低収量」という特徴付きで"Laurina"という品種名は書かれている。ただ、いくら高品質で推奨されてはいても、通常のアラビカと比べて30%程度という、そのあまりの生産性の低さのため、ほとんど農園では栽培されていない、というのが本当のところのようだ。生産性を何とか高めようとして、体細胞変異 (somaclonal variation) というバイオサイエンス上の技術を使って、「ブルボンLC」(Bourbon LC)という品種も作出されたのだが、それでもあまり改善されてはいないようだ。


川島氏の業績を正しく述べるならば、「地上からレユニオン島では』絶滅したと思われていたブルボン・ポワントゥを再発見し、さらにレユニオン島でのコーヒー栽培を復活させた」ということになるだろう。


誤解のないように言っておきたい。話をスケールダウンさせたように思われるかも知れないが、そのことで別に氏に対する評価を貶めよう、というつもりは全くない。ブルボン・ポワントゥは生産性が低く、おそらく商業栽培には*あまり*向いた品種とは言えないだろうが、「レユニオン島」というコーヒー史上、もっとも重要な島の「復活」の象徴としては、これほど適任な品種はないだろうと思う。また、川島氏が実際にレユニオン島のブルボン・ポワントゥの実物を発見したからこそ、現在ブラジルなどに伝わっているローリナが、確かにブルボン・ポワントゥと同じ起源のものだということが証明されたのだ。

レユニオン島では」という一言を付け足した事で、価値が下がったかに思う人もいるかもしれない…「一般受けのする」部分ではそうかもしれない。しかし学術的に見ると(そしておそらく、コーヒー産業全体としても)その業績の価値が曇ることはないのだ。