2013-12-05から1日間の記事一覧

ザブハーニーの経歴を考える

アル=ジャバルティーがザビードで活躍したのは1380年代-1403年の間だと考えられる。したがってアル=アダニーその教えを受け、かつ1425年までにムフティーのような重職に任じられる者がいたならば……生年としては1370-80年頃であろうか? それならば10-20代…

ジャマールッディーンとスーフィズム

ザビードにおけるスーフィズムの歴史で注目すべきは、7代スルタン、アル=アシュラフ・イスマーイールI世がアル=フィールザバーディーを大カーディーに任じてから、8代スルタン、アッ=ナースィル・アフマドが死ぬまでの30年間の間、すなわち1395-1424年に…

もう一つのスーフィズム:シャーズィリー教団の関わり

コーヒーとスーフィズムの関わりについて、これまでもっともよく議論されてきたのは、アル=ジャバルティーとの関連がありそうなカーディリーでもリファーイーでもなく、シャーズィリー教団である。 アブドゥル=カーディルがコーヒーを初めて用いた三人の候…

アル=ジャバルティーはコーヒーを飲んだか?

歴史の話が長くなったが、ポイントをまとめると以下のようになる イエメンでのスーフィズムのはじまりは13世紀頃。郊外型の、聖者を中心とする小教団によるものが主体。 14世紀末にザビードでアル=ジャバルティーが現れ、民衆、スルタン、一部の学者らの間…

イエメンにおけるスーフィズムとイブン・アラビー

黎明期 アイユーブ朝がイエメンに侵攻(1173)した12世紀後半、アイユーブ朝のもとでスンニ派体制が構築されていったが、これとほぼ同時期にイエメンにスーフィズムが伝わったと言われている。この時代は、アラブ周辺の他の地域では、スーフィーの聖者(ワリー…

アル=アダニーへの系譜:「イブン・アラビー派」のスーフィーたち

この「最初のファトワー」を出したムハンマド・イブン・サイード・カビン・アル=アダニー…以下「アル=アダニー」と呼ぶ…は、「ファトワーを出した」という以上、ザブハーニーと同様に、ムフティだったと考えねばならない。「アル=アダニー」というニスバ…

考えられる可能性

この記述の信憑性については何ともいいがたい。何パターンかの可能性が考えられるからだ。 両方の史料が正しい 二人の「ジャマールッディーン・ムハンマド・イブン・サイード」がいた(一人は1425/38年没の「アル=アダニー」、もう一人は1470年没の「ザブハ…

もう一人の(?)ゲマルディン

イスラムや中東研究する上での参考資料として、『イスラーム百科事典』は、もっとも信頼性が高く重要な参考資料の一つだと言えるだろう。この百科事典の"kahwa"の項には、コーヒーに関する豊富な記述が、多くの参考文献とともに記されており、コーヒーを考え…

はじまりの物語 (17)

#ゲマルディンことジャマールッディーン・アブー・アブドゥッラー・ムハンマド・イブン・サイード・アッ=ザブハーニーの謎に迫る その6(ザブハーニーシリーズの最終回) #ザブハーニー以前のファトワー。そして彼がスーフィーになった経緯を考える