「カフワ」とコーヒー

もう一つ、この時代で注意して区別する必要があるのは「カフワ qahwa」という言葉が指すものである。この「カフワ」という言葉が、コーヒーの語源になったという説は良く知られているが、この当時までに「カフワ」が指していたものとしては、次のように複数の対象が存在する。

  1. ワインのこと。ブドウを発酵させて作った酒。
  2. カート(qat, khat, chat)から作った飲み物。カートはエチオピア原産の植物で、葉に覚醒作用のあるアルカロイド(カチニン)を含む。
  3. コーヒーの葉から作った飲み物。カフタ(cafta)、またはカフワ・アルカティア*1エチオピアではクティ・カフワとも。
  4. コーヒーの実の殻(キシル)から作った飲み物。カフワ・アルキシリーヤ、エチオピアではハサール・カフワとも。
  5. コーヒーの殻と種(ブン)から作った飲み物。カフワ・アルブンニーヤ、エチオピアではブン・カフワとも。

元々「カフワ」とは、アラビア語で「欲を削ぐもの」という意味の言葉であり、最初は「食欲を削ぐ」という意味でワイン(=1)を指す言葉であった。一方、コーヒーやカートなどに眠気を取り去る働きがあることが分かると、これが「睡眠欲を削ぐ」ということで、これらにも「カフワ」という言葉が用いられるようになった。

そうして、コーヒーにも「カフワ」という言葉が用いられるようになるのだが、アブドゥル=カーディル『コーヒーの合法性の擁護』では、彼の前の時代にファフルッディーン・アル=マッキーが書いた『コーヒーの勝利』から引用として、イエメンで用いられるようになった当初の「カフワ」は、キシルやブン(=5,6)からではなくカートやコーヒーの葉(=2,3)から作られていたことを記している。それが後にイエメンでキシルやブンから作るカフワが広まると、またたく間にアラビア半島一帯に広がり、カートやコーヒーの葉から作るものに完全に取って代わったのだという。


アル=マッキーからの引用は、以下の内容である。

「カフワ」を最初に紹介し、イエメンの一般社会に広めたのはザブハーニーではなく、モカ守護聖人として知られるアリー・イブン・ウマル・アッ=シャーズィリーであった。当初それはカートやコーヒーの葉(カフタ)から作られ、徐々にその利用が広まっていったのだが、ザブハーニーの時代になってアデンに伝わったとき、アデンではそれらが入手できなかった。このため、ザブハーニーがその代わりに、当時アデンで入手できたブンから「カフワ」を作ることを提案し、人々に広めたという。

アブドゥル=カーディルはこのことに触れて、人々の間に「カフワという飲み物」を広めたのはアリー・イブン・ウマル・アッ=シャーズィリーであるが「キシルやブンから作るカフワ」を人々に広めたのはザブハーニーであると述べ、「二人の開祖」がいることに矛盾はないと説明している。


このアル=マッキーの説明は「飲み物としてのコーヒー」の始まりに関わるものであり、非常に興味深い。しかし一方で、いくつかの疑問も生まれる。アリー・イブン・ウマル・アッ=シャーズィリーが人々に「カフワ」を広めたのはいつ頃で、一体どこで、どうやってその「カフワ」を知ったのだろうか? またアル=マッキーによれば、それがアデンに伝わったとき、アデンでは入手できなかったというが、それは何故なのだろうか? 

*1:cahwat alcatia。ド・サッシー、脚注40参照